二代目パジェロ--「曲がれる四駆」への転換
誰でも扱える四輪駆動と日常の安全・安心を提供した初代『パジェロ』。
オールホイールコントロールの理念も取り入れ、GRIP THE GROUNDのキャッチコピーと共に登場した2代目『パジェロ』のハンドリング性能は、それまでの四輪駆動の常識を覆していくものでした。
乗用車のハンドリング性能と四輪駆動の走破性能
初代『パジェロ』の進化は、同時に次の課題をも明確にしていきました。四輪駆動は「2WD」か「直結4WD」かの二択であり、悪路では頼もしい一方、舗装路や積雪路では操縦性に制約が残りました。
「直結4WDにすると曲がらない。特にアイスバーンでは、本当に曲がらなくなるんです。そこを開発チームは乗り越えようとしていました」
フルタイムとパートタイムの長所を兼ね備えたスーパーセレクト4WDを搭載した2代目『パジェロ』
その難題に真正面から向き合ったのが、1991年に登場した2代目『パジェロ』です。世界初のスーパーセレクト4WDを搭載し、2WD・フルタイム4WD・直結4WD・ローレンジを状況に応じて選択できるようにしました。乗用車のフルタイム四駆技術も取り入れ、走破性と操縦安定性の双方を引き上げる設計です。
「"もっとハンドリングを大切にしよう"という発想でした。走破性を落とさず、曲がれる4WDにする。これは大きな転換でした」
乗用タイプのサスペンションは初代の後期に採用したリヤ3リンクのコイルスプリング式を踏襲、細部を見直すことで悪路での挙動はよりしなやかになりました。荒れた路面で後輪が弾むような動きは抑えられ、高速域でも安定した走行が可能に。走破性を維持しながら、乗り心地と操縦安定性の質を一段引き上げた改良でした。
1994年のダカールラリーの市販車改造部門で優勝した2代目『パジェロ』と増岡浩
エンジンも強化されます。1993年のマイナーチェンジでガソリンは3.0Lから3.5Lへ、ディーゼルは2.5Lから2.8Lへと排気量が拡大され、余裕のあるトルクと伸びやかな加速が加わりました。悪路だけでなく、長距離移動や高速巡航においても、『パジェロ』はより頼れる存在へと進化していきます。利便性の面でも質的な変化がありました。初期の四輪駆動車では四駆切り替えの際にいったん外に出てフロントハブを手動で操作する必要がありましたが、2代目では車内でレバーを操作するだけで2WD/4WDの切り替えが実現します。
「初代は、いま振り返れば決して楽なクルマではありませんでした。発売当初はパワーステアリングもなく、悪路を走ればステアリングは容赦なく跳ね返ってくる。最もつらかったのは手の痛みでしたね。レースでは指にマメができて血だらけになるほどでした。2代目での進化は、ラリーにおいても疲労軽減という意味で大きかった」
パリダカで証明された2代目『パジェロ』の完成度
同時期プロトタイプで争われていたダカールラリーでしたが、1996年突然のレギュレーションの変更により、メーカーによるプロトタイプでの出場が禁止されました。そのため1997年大会には市販車の性能が大きく影響するT2クラス(市販車無改造部門)で出場することとなり、急遽2代目『パジェロ』ベースの車両で出場しましたが、プライベーターのプロトタイプを抑えて総合優勝を果たしました。さらに1998年大会には基本性能が向上した『パジェロエボリューション』ベースの車両で出場し、再び総合優勝を果たすことでベースモデルとなった2代目『パジェロ』の基本性能の高さが証明された形となりました。
4輪独立懸架式サスペンションを採用した『パジェロエボリューション』
『パジェロエボリューション』は専用の3.5リッターエンジンを搭載し、エンジンフードにはアルミ材を採用するなど、徹底した軽量化と高性能化が図られています。特に1990年代の前半は『パジェロ』の国内月販台数は7,000〜8,000台に達し、会社の業績も好調でした。開発に投資できる環境が整っていたことは事実です。
「でも、数字だけでは説明できません。やれるなら、やり切ろうという空気がありました。スピードを追求するために、専用エンジンやボディパーツを採用。コストよりも、やりきることを優先していた時代だったと思います」
コストよりも理想を優先する。『パジェロエボリューション』は、そうした時代の熱量が形になった一台でもありました。
1998年のダカールラリーを制した『パジェロエボリューション』
初代で確立した"走れる四駆"という信頼は、2代目において"操れる四駆"へと深化します。悪路を走り切ることと、誰もが安心して操れること。その両立が『パジェロ』という存在を際立たせていきました。
その思想は、次の世代でさらなる根本的な問いを突き付けられます。構造そのものを変えるかどうか——モノコックボディへの挑戦という議論です。
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【増岡 浩】
チーム三菱ラリーアート総監督
世界一過酷なダカールラリーに、三菱自動車のワークスドライバーとしてパジェロとともに参戦し、2002年、2003年に総合優勝、日本人初の総合2連覇を成し遂げた。
現在はその実戦で培った知見を活かし、新型車の開発・総合評価に深く携わるとともに、テストドライバーの育成にも注力。
また、チーム三菱ラリーアートの総監督としてアジアクロスカントリーラリーに参戦。アセアンで最も過酷とされる同ラリーで2022年、2025年の総合優勝へと導いた。
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2026年4月

