性能だけではない――『パジェロ』が届けた新たなライフタイル

パジェロ物語-商品企画編 後編

パジェロ物語-商品企画編 後編

『パジェロ』の物語は、日本だけでは終わりません。日本で育まれたその思想は海を渡り、欧州では高速道路を安心して走れるSUVとして、米国では自由な冒険を支える相棒として、東南アジアでは暮らしを支える頼れる存在として、それぞれ異なる価値を生み出していきます。
市場や文化が変わっても、変わらなかったものがあります。それは、「誰でも安心して使える本格四輪駆動車」という考え方です。
その思想は、一度世界市場から『パジェロ』の名が姿を消した後も、三菱自動車のクルマづくりの中に、そして一人の商品企画マンの歩みの中に刻み込まれていきました。(前編はこちら

時代と共に変化する『パジェロ』のニーズ

多様化するSUV市場の中で、「『パジェロ』らしさ」を問い続ける

『パジェロ』が切り拓いた市場は、その後大きく広がっていきました。各メーカーがSUV市場へ参入し、求められる価値も多様化します。SUVというカテゴリーが一般化するにつれ、ユーザーの価値観も細分化されていきました。
「『パジェロ』の成功以降、各社が多様なクルマを投入してきました。快適性やステータス性を前面に出した高級志向のSUVが登場する一方で、『そこまでの性能は不要』というニーズから、より乗用車に近いライトSUVも出てきました」
市場が変われば、商品のあり方も変わります。それでも三菱自動車が問い続けたのは、「『パジェロ』らしさ」とは何か、ということでした。
大型SUVの需要が一時的に低下する一方、海外ではプレミアムSUV市場が拡大するなど、事業環境は大きく変化していきます。そうした中でも、『パジェロ』が目指した方向は変わりませんでした。

初代から一貫して誰でも扱える4WDを目指した『パジェロ』

本格的な悪路走破性を維持しながら高級感や快適性を備えること。そして、誰もが安心して扱える操作性を実現すること。その両立こそが、『パジェロ』の商品企画における一貫したテーマでした。
上原は、3代目『パジェロ』のコンセプトをこう説明します。
「"ダイナミックプレステージ"という言葉がありました。プレステージは高級感、ダイナミックは走破性や運動性能です。一般的なオフロード車は直進安定性を重視しますが、『パジェロ』はハンドル操作に対して素直に曲がる、躍動感のある走りを重視していました」
ここでいう「素直に曲がる」という言葉は、単なる運動性能を表しているわけではありません。
ドライバーの意思に対して自然に応えるからこそ、人は「自分で扱えている」という安心感を得られます。初代から受け継がれてきた「誰でも扱える」という思想は、この時代にも変わることなく息づいていました。

「使う人」の視点が、『パジェロ』をつくった

こうした考え方は、どこから生まれたのでしょうか。上原は、当時の三菱自動車には「仕事は真摯に向き合うが、私生活は趣味人」が多かったと振り返ります。
「入社当初の印象として、スキーや釣り、キャンプなど、それぞれの趣味に対して強いこだわりを持つ人が多かったです」
商品企画部門へ配属された上原も、ある日こんなことを言われたそうです。
「『パジェロ』でキャンプに行ってこい、と言われたんです。なんでわざわざ、と思いました。でも、人を喜ばせるには、自分が知らなければならない、という考え方が根底にあったんですね」
机の上で考えるだけでは、本当に使いやすいクルマは生まれません。実際に使い、自分の体で体験する。その積み重ねが、『パジェロ』の商品企画を支えていました。
「実際に使ったときにどう感じるかは、体験しなければ分かりません。『パジェロ』には、その体験に基づいた細かな工夫が積み重なっていました。装備一つひとつにも、使う場面が想定されていました。車載工具はすぐに取り出せるよう配置されていましたし、夜間でも使えるようにライトにはマグネットが付けられ、車体に取り付けられるようになっていました。実際に使ってみないと分からない工夫だと思います」
性能を追い求めるだけではなく、使う人の立場に立って考える。その姿勢こそが、『パジェロ』の価値を形づくってきました。そして、その価値は、日本という市場を飛び出し、世界で新たな意味を持つことになります。

  • バックドアに内蔵された車載工具

海を渡った『パジェロ』――価値は世界で育っていった

日本で「誰でも扱える四輪駆動車」として生まれた『パジェロ』は、海を渡ることで、新たな価値を獲得していきます。2代目以降、輸出の中心は欧州へと広がりました。当時はSUVというカテゴリー自体がまだ珍しく、選択肢も限られていました。
「当時の欧州では、お金持ちの方のファーストカーはドイツをはじめとした欧州製の高級車で、遊びのクルマは『パジェロ』、という話をよく聞きましたね」
高速道路では安定して走り、街中では扱いやすく、週末にはアウトドアを楽しめる。日常と非日常を一台でつなぐ存在だったことが、『パジェロ』が多くの人に支持された理由でした。その価値は、米国でさらに違う意味を持ちます。2008年から2011年まで米国に赴任した上原は、現地で中古の『パジェロ』を探し、自ら乗り続けました。現地ではすでに新車販売は終了していましたが、それでも『パジェロ』を選びたかったといいます。そこで出会ったのは、日本とは異なるアウトドア文化でした。
「米国は、自己責任でいろんなことができる国なんです。ちょっとした山道でも、入口に標識があって、『ここから先は難易度これぐらい』と書いてある。自分のクルマと自分のスキルを見て判断しなさい、というスタンスです。実際に行ってみると、自分でもここまで行けるんだという嬉しさがありましたね」
『パジェロ』がもたらしていたのは、走破性そのものではありません。「行ける」という性能が、「行ってみよう」という挑戦へと変わるほどの安心感でした。日本で生まれた価値は、米国では自由を支える価値として受け入れられていたのです。
オーストラリアでは、『パジェロ』はさらに違う役割を果たしていました。仕事にも使い、休日にはそのままボートを引いて遊びに行く。そんな暮らしの中で、『パジェロ』は仕事と遊びを自然につなぐ存在として親しまれていました。そして、海外で取材や商談を重ねる中で、上原は日本ではあまり意識しなかった価値に気づきます。
「よく言われたのが、“ムービングセーフリー”。安全に安心して移動できるということです。これは日本にはあまりない、海外の人がすごく気にする価値なんですよね。アイポイントが高いので遠くまで見渡せる。先で何が起こっているか分かる。そういう安心感があったんです」
日本ではレジャーを楽しむクルマ。海外では、大切な人を安全に目的地まで届けるクルマ。『パジェロ』は、「遊び」の価値に加え、「安心」という価値でも選ばれる存在になっていきました。

海外では、大切な人を安全に目的地まで届けるクルマ

その価値は、新興国でさらに姿を変えます。『パジェロ』から生まれた『パジェロスポーツ』は、タイをはじめとするASEANで広く受け入れられました。現地では『パジェロスポーツ』ではなく、『パジェロ』と呼ばれることも少なくなかったといいます。
「向こうでは、先進国のようなレジャーはそんなにないんです。むしろ、ちょっと裕福な方が、生活の中で頼れるパートナーとして買う。スコールで道が冠水したり、未舗装路がいくらでもある。そんな中で、頼りになって、ちゃんと目的地にたどり着けるクルマとして選ばれるんです」
日本では遊びを広げるクルマだった『パジェロ』は、ASEANでは暮らしを支える存在へと進化していました。こうした経験を通して、上原は『パジェロ』を三菱自動車のモノづくりを象徴する存在として捉えるようになります。
先進国で新しい楽しさや価値を生み出し、その技術を新興国の暮らしへ生かす。そして、そこで得た力を次の挑戦へつなげていく。その循環こそが三菱自動車らしさであり、その原点が『パジェロ』だと語ります。

生活を変え、支えるクルマ

『パジェロ』は上原にとってどんな存在だったのでしょうか。
「恥ずかしくて言いにくいんですけど、極端に言うと、自分の人生を広げてくれたクルマなんですよね」
学生時代には知らなかった世界へ連れて行ってくれたこと。『パジェロ』を通じて多くの人と出会えたこと。商品企画という仕事の面白さを教えてくれたこと。その一つひとつが、上原自身の人生を豊かにしていきました。
そして、その思いは世界中で『パジェロ』と出会った人たちにも重なります。欧州では、暮らしを楽しむために。米国では、新しい一歩を踏み出すために。オーストラリアでは、仕事と遊びをつなぐために。ASEANでは、毎日の暮らしを支えるために。
国ごとに価値は変わっても、その根底にあった思想は変わりませんでした。どこへでも行けること。誰でも扱えること。その二つが重なったとき、人は「行ける」を「行こう」に変えることができます。
『パジェロ』がつくったのは、人々の行動範囲を広げ、暮らしを少し豊かにするという価値でした。その思想は、一人の商品企画マンの歩みの中に、そして三菱自動車のクルマづくりの中に、今も受け継がれています。

  • 【上原 実】
    『パジェロ』2代目のマイナーチェンジ、3代目の商品企画を担当。その後『デリカD:5』など三菱自動車を代表する車種の商品企画を歴任。
    早くからクルマの機能だけでなく提供する価値に着目し、商品企画を担ってきた。

2026年9月

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