性能だけではない――『パジェロ』が届けた新たなライフスタイル

パジェロ物語-商品企画編 前編

性能だけではない――『パジェロ』が届けた新たなライフタイル

四輪駆動車は、かつて限られた用途のための特別なクルマでした。しかし『パジェロ』は、その常識を少しずつ変えていきます。商品企画が向き合ったのは、「性能をどこまで高めるか」の発想だけではありませんでした。重視したのは、「その性能を、誰が、どのように使うのか」という視点です。高い走破性を、一部の愛好家だけのものではなく、もっと多くの人の日常へ広げていく。その考え方は、人々の行動範囲を広げ、クルマとの付き合い方そのものを変えていきました。そして、日本で生まれたその価値は、やがて海を渡り、それぞれの国や地域で異なる意味を持つようになります。
『パジェロ』が届けたものとは何だったのか。商品企画を担当した上原実の証言から、その軌跡をたどります。

1982年、初代『パジェロ』が誕生

「どこでも行ける」を、誰でも使えるものへ

1970年代後半から80年代にかけて、日本人の暮らしは大きく変わり始めていました。 週休2日制の広がりによって余暇が生まれ、高速道路の整備によって移動できる距離も伸びていきます。それまで限られた人だけのものだった遠出が、多くの人にとって現実的な選択肢となり、スキーやキャンプなどのアウトドアレジャーも広がり始めました。クルマは、単なる移動手段ではなく、人の行動範囲を広げる存在へと変わろうとしていたのです。
当時の商品企画を担当した上原実は、その頃の空気をこう振り返ります。
「70年代後半から80年代初頭にかけて、日本では週休2日制が広がり、遠出やレジャーが一般化しました。その中で、『四輪駆動車はレジャーに向いているのではないか』と考える人が徐々に増えていきました」

一方で、四輪駆動車はまだ誰もが乗りこなせるクルマではありませんでした。
『三菱ジープ』は、林業や山岳用途などを想定した特殊用途向けの車両であり、高い走破性を持つ一方で、扱いやすさや快適性は二の次とされていました。一般のドライバーにとって、憧れの存在ではあっても、日常の選択肢とは言い難い存在だったのです。
そんな中で生まれたのが、『パジェロ』という発想でした。
「どこでも走れるという『三菱ジープ』のコンセプトを維持しながら、普通の人でも乗れるようにする。これが『パジェロ』のルーツです」
この言葉には、『パジェロ』の商品企画を貫く考え方が凝縮されています。目指したのは、四輪駆動車としての本質は守りながら、その価値をより多くの人へ届けることです。

「外観のいかつさ、操作の煩雑さ、振動や騒音、後席の狭さなどを改善し、快適性と使いやすさを高めていきました。一方で、四輪駆動車としての本質は変えない、ということは三菱自動車の中で貫かれていました」
走破性は落とさない。耐久性も犠牲にしない。そのうえで、誰もが安心して扱えるクルマにする。性能を削ることで間口を広げるのではなく、本格性能を持ったまま、誰でも使える存在へと進化させる。その発想こそが、『パジェロ』というクルマを唯一無二の存在にしていきました。
1982年に登場した初代『パジェロ』は、「大自然を自由に駆け巡るための相棒」を掲げ、RV(レクリエーション・ビークル)という新しい価値を提案します。ラダーフレームによる本格的な悪路走破性を備えながら、乗用車並みの快適性やハンドリング性能も追求しました。
そこにあったのは、「特殊な四輪駆動車」ではありません。都会からアウトドアへ。日常から非日常へ。人の行動範囲を広げ、新しい暮らし方を提案するクルマとして、『パジェロ』は世の中に送り出されたのです。

誰でも扱える4WDを目指した初代『パジェロ』

クルマを売るのではなく、使い方を届ける

こうした考え方が人々の共感を集めたのは、広告やカタログだけが理由ではありません。『パジェロ』の本当の魅力は、実際に乗った瞬間に実感できるものでした。
上原自身も、初めてハンドルを握ったときの印象を今でも鮮明に覚えています。
「大きくて扱いにくそうなクルマだと思っていましたが、実際に乗ると視界が良く、操作もシンプルで、普通の乗用車のように扱えました。決して“特別なクルマ”ではなく、『普通に乗れるクルマだった』というのが印象的でした」
「自分には難しそう」。そんな四輪駆動車への先入観は、「自分にも乗れるかもしれない」という安心感へ変わっていきます。扱いやすさは、四輪駆動車に対する心理的なハードルを下げ、新しいユーザーを生み出していきました。
その流れをさらに加速させたのが、2代目『パジェロ』に採用された「スーパーセレクト4WD」です。
「スーパーセレクト4WDは、センターデファレンシャルを持つことで、乾燥した舗装路でも4WDで走行できるようになりました。また、走行中でもレバー操作だけで2WD/4WDの切り替えができ、雨や雪で滑りやすい路面でも安全な4WD走行を簡単に選択することが可能になりました。特別な知識がなくても扱える、革新的な仕組みでした。四輪駆動のハードルを大きく下げたのが『パジェロ』だったと思います」
ここでも目指したのは、機能を増やすことではありません。専門的な技術を、「誰でも使える価値」へと変えることでした。この発想は、日本だけでなく、後に世界各地で『パジェロ』が受け入れられる大きな理由にもなっていきます。
そして三菱自動車はモビリティの先にあるものを視野に入れていました。そのクルマで、どんな時間を過ごせるのか。どんな体験が待っているのか。そこまで含めて提案しようとしていたのです。

より安全・簡単に4WDで走行することができるようになった2代目『パジェロ』

当時、キャンプやアウトドアは、まだ身近なものではありませんでした。興味はあっても、始め方が分からない。道具もない。経験もない。自然の中へ踏み出すこと自体に、不安を感じる人が少なくありませんでした。
その最初の一歩を支えたのが、1991年に始まった「スターキャンプ」です。販売店を通じて参加者を募り、自然を楽しむ方法まで届けようとした取り組みでした。
「まだクルマで行けるキャンプ場も少ない時代だったので、土地だけ借りて、トイレなども自分たちで設営しました。当時は『キャンプは面白そうだけど、やったことがない』という人が多かったので、テントの張り方が分からなければ教える。クルマがスタックすれば押す。そうしたサポートをしながら、自然の中で過ごす楽しさを感じてもらいました。クルマと一緒に“文化”を売っていたような感覚でしたね」
人は、「楽しそう」と思うだけでは動きません。「自分にもできるだろうか」という不安がある限り、新しい世界へ踏み出すことは難しいものです。スターキャンプは、その不安を取り除く場でした。『パジェロ』はどんな道でも走れるクルマだというだけでなく、新しい体験へ踏み出すきっかけを与える存在だったのです。

1991年から始まった「スターキャンプ」

上原は、『パジェロ』が持っていた価値を象徴する言葉として、こんな表現を挙げています。
「当時、四駆のクルマは他にもありましたが、『パジェロ』だけは違って見えていました。ドイツメーカーの四駆は『お金持ち』、『パジェロ』は『豊かさ』というイメージだったのかもしれません」
高価なものを所有することではなく、休日に家族や仲間と出かけ、新しい景色に出会い、新しい体験を楽しむこと。『パジェロ』が提案していたのは、そんな暮らしそのものだったのです。用途で選ばれるクルマから、生き方や価値観で選ばれるクルマへ。『パジェロ』は、「クルマでどんな人生を楽しむか」という、新しいライフスタイルを広げていきました。
そして、日本で育まれたその「豊かさ」という価値は、やがて海を渡り、それぞれの国で異なる姿へと変化していきます。そこからが、後編で描くもう一つの『パジェロ』の物語です。

  • 【上原実】
    2代目のマイナーチェンジ、3代目の商品企画を担当。その後『デリカD:5』など三菱自動車を代表する車種の商品企画を歴任。
    早くから車の機能だけでなく提供する価値に着目し、商品企画を担ってきた。

2026年8月

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