その一台に、支えられた人がいる

三菱自動車のPHEVと災害支援の15年

その一台に、支えられた人がいる

災害が起きたとき、その一台を必要としている人がいる。停電した避難所に明かりをともす。スマートフォンを充電し、離れて暮らす家族に無事を伝える。時には、医療を支える電源にもなる。三菱自動車のPHEVは、災害の現場で「移動するためのクルマ」を超えて、人々の暮らしを支えてきました。そして、その一台を必要な場所へ届けるために、自治体や販売会社と連携し、動き続ける社員たちがいます。国内地区統括部で自治体向けの営業・企画を担当する太田岳志もその一人。被災地へ一台でも早くクルマを届けるために奔走する太田の仕事や、過去の三菱自動車の支援事例を通して、三菱自動車が積み重ねてきた災害支援と、その先にある想いを追います。前編では、災害支援の原点と、それを支える仕組み、そして能登半島地震での対応を紹介します。

始まりは2011年 「電気を取り出したい」、たったひとつの声から

三菱自動車と自治体との災害協力の歴史は、2011年の東日本大震災にさかのぼります。当時、被災地には三菱自動車の電気自動車『i-MiEV』約90台が派遣されました。「その時は、特に電気を取り出すというわけではなく、ガソリン等が不足していたので、あくまで移動手段として活用していただいたと聞いています」と太田は話します。ところが、被災地から寄せられたのは意外な声でした。「『i-MiEV』から電気を取り出せたらいいのに」。移動手段としてのEVに電源としての価値を見出したのは、他ならぬ被災地の人たちだったのです。
この声をきっかけに、三菱自動車は翌2012年9月、駆動用バッテリーから電気を取り出せる給電装置「MiEVパワーボックス」を発売します。そして同じ月、京都府と、電動車を活用した初めての災害時協力協定*を締結。ここから三菱自動車の「電気を届ける」支援が本格的に始まったのです。

  • 災害時協力協定は、災害発生時に自治体と改めて必要事項を確認する時間的ロスをなくし、電動車を被災地や避難所へ迅速に届けるための仕組み

『i-MiEV』と給電装置「MiEVパワーボックス」

その後、しばらく大きな動きのない時期が続きましたが、転機となったのは社内のある取り組みでした。当時の新入社員が、会社の課題を提言する「問題解決シート」という企画のなかで、「災害時協力協定をもっと全国に広げるべきではないか」と提案したのです。その声を受けて、2019年から全国に災害時協力協定を広げていく取り組みが始まりました。
2011年から数えて15年、三菱自動車は47都道府県で少なくとも1自治体と災害時協力協定を締結。自治体数は273に至りました(2026年8月31日時点)。2019年から三菱自動車は全国の自治体との協定締結を本格化。一台でも早く支援車両を届けるための体制づくりを進めてきました。
近年は地震や台風だけでなく、記録的な豪雨なども増えており、兵庫県では2025年の阪神・淡路大震災30年を機に、県内自治体の防災意識が高まり、新たに協定締結が進んだといいます。「自治体のみなさまの災害に対する意識は高くなってきている」と、太田は近年の変化を実感しています。

災害時の人々の暮らしを支える

太田が三菱自動車に入社したのは2023年7月。前職は銀行員でした。入社後、自治体向けの営業・営業企画部署に配属となり、電気自動車やPHEVを自治体に導入してもらう取り組みを推進する仕事の担当に。「転職活動のなかで三菱自動車が進めている災害時協力協定の取り組みを知り、興味を持ちました。クルマを売るだけではなく、人々の暮らしを支える取り組みがあることに惹かれました」と言います。
銀行というまったく畑違いの業界から、災害時に人々の暮らしを支える仕事へ。3年目を迎えた太田は今、全国の自治体を訪ね、災害時協力協定の締結を進めながら、実際に災害が起きたときには派遣車両の調整にあたる、いわば「支援の司令塔」のひとりとして働いています。 「自治体の防災担当の方とお話しする機会が多いのですが、その度に、単なる自動車メーカーとしてだけでなく、災害に強い会社としての三菱自動車を実感していただけている」と感じています。
大きな災害が起きるたびに、チームは車両の手配、自治体・販売会社との連絡調整に奮闘します。「私自身は役職上、深夜対応をすることはありませんが、現場を仕切るマネージャーなどは深夜でも連絡が来る可能性がゼロではない」と、その大変さも率直に語ってくれました。全国どこかで災害が発生すれば、太田のチームは常にニュースや停電情報に目を配り、支援が必要な地域を見極めています。多くの人にとって遠い場所の出来事に思える災害でも、この仕事に携わる人にとっては、常に「自分ごと」であり続けているのです。

迅速な支援を支える、「人」と「仕組み」

災害が起きたとき、三菱自動車の支援は大きく二つのパターンで動きます。ひとつは、協定を結んだ自治体からの直接の依頼。24時間365日対応のコールセンターを窓口に、自治体からの要請を受けると、三菱自動車が車両を調整し、自治体に届けます。もうひとつは、協定の有無にかかわらず、三菱自動車の側から被災自治体に連絡を取る「プッシュ型」の支援です。「ニュースなどを見て、どこで被害が大きいか、停電がどのくらい起きているかといった情報を収集し、ここが一番必要なんじゃないかと判断していきます」と太田は言います。災害発生直後は、自治体の防災担当者も対応に追われ、そもそもどこに支援を求めればいいか把握できていないことも少なくありません。
「そういった際には、しっかりこちらから『大丈夫ですか』と連絡をしています」
三菱自動車の協定の大きな特長は、自治体・三菱自動車・地元の販売会社という「3者」で協定を結ぶ点にあります。「地元の販売会社と自治体の2者で結ぶケースが多いようですが、弊社の場合は、自治体は車両の借り手、車両の調整は三菱自動車、そして実際に現地の貸出場所まで車両を運ぶのは販売会社と、役割分担が明確です。この3者の連携があるからこそ、迅速で幅広い対応ができます」と太田は説明します。

能登半島地震 現場で見た、「当たり前じゃない」安心

三菱自動車の支援体制が最も試されたのが、2024年1月1日に発生した能登半島地震でした。新潟県内でも停電などの被害が広がる中、「新潟県庁さんからご依頼をいただいて、その日のうちにPHEVを柏崎市へ届けました」。年始で多くの人が休んでいるなかでの、異例のスピード対応を行いました。
地震発生直後、柏崎市防災・原子力課から新潟県庁に「多数の停電地域が発生しているため電源を確保したい」という要請が入り、新潟県庁の担当者が三菱自動車と中越三菱自動車販売(株)に相談。担当者が指定されたコミュニティセンターに向かったものの、停電で明かりのない中、道に迷ってしまい、幾度となく方向を確認したといいます。

届けられたのは、『アウトランダーPHEV』と『エクリプスクロスPHEV』でした。避難所となっていたコミュニティセンターでは、発電機はあったもののコンセントの数に限りがあり、多くの人がスマートフォンを充電できずにいました。PHEVが到着するとすぐに給電を開始。投光器にも電気を送り、暗い避難所を照らすことができました。「これで親戚や知人に安否の連絡ができます」と利用者からは安堵の声が聞かれました。当時、柏崎市からも感謝の言葉が寄せられました。「動く発電機・蓄電池となるPHEVが安心を届けてくれた」「元日にもかかわらず貸与台数について迅速な回答があり、三菱自動車と販売会社の災害時における連携の強さを感じた」「路面は積雪や凍結があったが、SUVタイプのPHEVなので、悪路でも走行が可能で、緊急時に対応できることが分かった」

太田は当時を振り返り、「新潟県庁さんとお話しする機会があったのですが、元日という誰もが休みをとっている休日の対応にかなり感謝していただいて。避難所で不安な時間を過ごしていた方々の安心につながっていたのだと思うと、本当に嬉しかったですね。感謝の言葉をいただいた時は、心が震えました」。

実際に貸与していた車両と当時を再現した様子

太田にとって、能登半島地震への対応は特別な意味を持つ出来事でした。2023年7月の入社以来、初めて経験した大きな災害対応。「実際に新潟県に伺い、柏崎市や新潟県庁を訪ねて、現地の方々の生の声を聞くことができ、印象深い経験になりました。停電は長くても1週間ほどで復旧するケースが多いので、出遅れてしまうと「電気を届ける」支援が果たせなくなってしまう。地震はやはり初動対応が一番重要なのだと改めて認識することができました」。だからこそ、困っている人が最初に電気を必要とするタイミングで届けることに、三菱自動車はこだわり続けているのです。

後編では、佐渡市や熊本地震での事例を通じて見えてきたPHEVの実力と、医療や地域防災へと広がる支援の可能性に迫ります。

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