2002年シーズンを迎えるにあたり、三菱自動車チームは世界ラリー選手権(WRC)に臨むドライバーラインナップの一新を図る。トミー・マキネンとフレディー・ロイックスに代わって、WRC通算4勝のフランソワ・デルクール(フランス)とアリスター・マクレー(英国)をレギュラーに起用。さらに若手のヤニ・パーソネン(フィンランド)を未舗装路ラリー6戦にワークス体制で参戦させる新体制を組んだのである。開幕戦モンテカルロラリーでは、デルクールがランサーWRC本来の特性をつかむことに終始しつつも9位に。続く第2戦スウェディッシュラリーでは、ホイール破損に見舞われるまでパーソネンが4位を走行し、最終的にはマクレーが5位に入賞。そして第3戦ツール・ド・コルスではデルクールが粘り強く走り続け、ポイント獲得目前の7位に入った。
Rd. |
name |
Country |
1 |
Rallye Monte Carlo |
モナコ、フランス |
2 |
Swedish Rally |
スウェーデン |
3 |
Tour de Corse |
フランス |
4 |
Rally Catalunya |
スペイン |
5 |
Cyprus Rally |
キプロス |
6 |
Rally Argentina |
アルゼンチン |
7 |
Acropolis Rally |
ギリシャ |
8 |
Safari Rally |
ケニア |
9 |
Rally Finland |
フィンランド |
10 |
Rallye Deutschland |
ドイツ |
11 |
Rallye Sanremo |
イタリア |
12 |
Rally New Zealand |
ニュージーランド |
13 |
Rally Australia |
オーストラリア |
14 |
Rally of Great Britain |
ウェールズ |

その間にも、岡崎のモータースポーツ開発チームとイギリスのラリーアート・ヨーロッパの間では改良型のランサーエボリューションWRC2の開発が急ピッチで進められていた。従来は岡崎ですべてのコンポーネントを設計していたが、このランサーWRCからはエンジンと駆動系以外は設計段階からラリーアート・ヨーロッパの担当とした。開発期間の短縮を図るための担当変更だった。かくして三菱自動車チームは、全面的に見直しを図ったランサーエボリューションWRC2を8月の第9戦フィンランドラリーから投入し、パーソネンが8位で完走。第10戦ドイツラリーではデルクールが2番手のタイムをマークし、第12戦ニュージーランドラリーではパーソネンが三菱自動車にとって15カ月ぶりのベストタイムを叩き出す。ランサーWRCのパフォーマンスが着実に上がってきていることは間違いなかった。
しかし、全14戦を戦い終えたところで三菱自動車チームが手にした結果は屈辱的なものでしかなかった。ドライバーズ選手権ではマクレーがスウェーデンで獲得した2ポイントのみ。マニュファクチャラーズ選手権もわずか9ポイントに留まった。前年は3勝を挙げているトップチームのあまりに急な失速は、WRカー規定導入以降のWRCの競争レベルがいかに急激に上がり続けているかということを端的に表すものでもあった。
従来の三菱自動車の強みは、岡崎の技術センターという三菱自動車のすべての乗用車を開発している場でラリーカーの開発も行っている点にあった。乗用車開発との密な連携によって、ラリーカー側からの要望が全面的に盛り込まれた市販車が送り出され、それをベースにしたグループA仕様のランサーエボリューションは時代を席巻してきた。WRC活動に携わる人材の数や活動予算がライバルより遥かに少ないもので済んでいたのもそのためだったが、時代の要求スピードはその在り方をついに上回り、三菱自動車も何らかの組織的な変革を迫られることとなった。