WRC
- 世界ラリー選手権 1994

WRC
世界ラリー選手権 1994

1994年 世界ラリー選手権

前年シーズンを尻上がりに調子を上げて終えた三菱自動車チームは、ドライバーラインナップ不変の体制で世界ラリー選手権(WRC)の1994年シーズンを迎えた。開幕戦モンテカルロラリーには引き続きグループA仕様のランサーエボリューションで乗り込み、アーミン・シュワルツが最多の計9回のベストタイムを叩き出して7位でフィニッシュ、そしてケネス・エリクソンも2度のベストをマークして5位と、残された結果以上に充実した内容の開幕戦となった。
Rd. name Country
1 Monte Carlo Rally モナコ、フランス
2 Rallye de Portugal ポルトガル
3 Safari Rally ケニア
4 Tour de Corse フランス
5 Acropolis Rally ギリシャ
6 Rally Argentina アルゼンチン
7 Rally New Zealand ニュージーランド
8 1000 Lakes Rally フィンランド
9 Rallye Sanremo イタリア
10 RAC Rally ウェールズ
第3戦のサファリラリーには、ラリーアート・ヨーロッパ運営の三菱自動車ワークスチームは出場しない一方、90年から車両、チーム運営ともに日本側という体制でこのラリーに挑み続けている社員ドライバーの篠塚健次郎が出場。ギヤボックスの不調を乗り越えて2位でフィニッシュし、当時におけるサファリでの日本人最上位の結果を残した。

次なるアクロポリスラリー(ギリシア)で三菱自動車チームは、1994年1月に発売され、グループA/Nの最少生産台数2,500台を超える数の市販車が販売されたランサーエボリューションⅡをベースとしたマシンにスイッチ。相次ぐ駆動系パーツの破損に見舞われつつも、シュワルツが粘り強く走って2位に。リタイアを喫したエリクソンと合わせて、33カ所のSSのうち9カ所でベストタイムを奪い、実力を見せつけた。
三菱自動車ワークスチームの次なる出番は、アジア・パシフィックラリー選手権(APRC)の開幕戦だった。APRCには前年からスバルがワークス参戦を開始。重要なアジア市場を考えると、三菱自動車としても黙っているわけにはいかない。イギリスからグループA仕様のランサーエボリューションを送り込み、エリクソンをシリーズ全戦に出場させた。その初戦であるインドネシアラリーでエリクソンは、スバルのポッサム・ボーン(ニュージーランド)や後年三菱自動車チーム入りするリチャード・バーンズ(イギリス)を抑えて優勝、貫禄を示した。

なお、APRC最終戦タイラリーで三菱自動車チームは、長年にわたって研究開発を進めてきた電子制御アクティブディファレンシャルシステムをついに実戦投入した。この新開発のアクティブデフシステムを搭載したランサーエボリューションⅡは、それまでになく良好なハンドリング特性を示し、同車を駆ったエリクソンは見事優勝。惜しくもAPRCのシリーズタイトル獲得はならなかったが、結果・内容ともに上々の成果を収めることができた。一方のWRCにおいては、APRC併催のニュージーランドラリーでシュワルツとエリクソンが3-4位に入賞。そしてサンレモラリー(イタリア)では、前年に出場のチャンスを与える約束を交わしていたトミー・マキネンを初めてワークスチームに起用した。

リザルト

Rd. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
A. シュワルツ 7th 2nd 3rd R
N. グリスト
K. エリクソン 5th R 4th
S. パーマンダー
篠塚建次郎 2nd
P. クッカラ
Driver Co-driver R - Retired D - Disqualified
Rd. 1 2 3 4
A. シュワルツ 7th
N. グリスト
K. エリクソン 5th
S. パーマンダー
篠塚建次郎 2nd
P. クッカラ
5 6 7 8 9 10
2nd 3rd R
R 4th


Driver

Co-driver

R - Retired

D - Disqualified

スペック

ランサー エボリューション Ⅱ

全長 4,310 mm
全幅 1,695 mm
エンジン 4G63 4気筒 DOHC ターボ
エンジン排気量 1,997 cc
最高出力 295 ps
最大トルク 45.9 kg-m