三菱自動車がWRカーの開発をスタートさせたのは、2000年のシーズン前半。そしてデビュー戦は2001年10月のサンレモラリー(イタリア)に設定した。実質的に1年という開発期間はギリギリの線であった。WRカーが間に合わないシーズン前半はグループAランサーエボリューションⅥで戦わねばならないが、WRカー勢に対抗するには、大掛かりな手を打たねばならないことは明らかだ。そこで三菱自動車は、「2001年のシーズン中に完全なるWRカーをデビューさせること」を条件に、市販モデルには取り入れることのできない2項目をグループAランサーエボリューションに採用したい旨を国際自動車連盟に申し入れたのだ。改造を施すことにした2カ所とは、リヤのインナーホイールハウスの拡大とそれに伴うリヤサスペンションの取り付け位置の変更、そしてエンジンのフライホイールの軽量化であった。
Rd. |
name |
Country |
1 |
Rallye Monte Carlo |
モナコ、フランス |
2 |
Swedish Rally |
スウェーデン |
3 |
Rallye de Portugal |
ポルトガル |
4 |
Rally Catalunya |
スペイン |
5 |
Rally Argentina |
アルゼンチン |
6 |
Cyprus Rally |
キプロス |
7 |
Acropolis Rally |
ギリシャ |
8 |
Safari Rally |
ケニア |
9 |
Rally Finland |
フィンランド |
10 |
Rally New Zealand |
ニュージーランド |
11 |
Rallye Sanremo |
イタリア |
12 |
Tour de Corse |
フランス |
13 |
Rally Australia |
オーストラリア |
14 |
Rally of Great Britain |
ウェールズ |
そして迎えた世界ラリー選手権(WRC)の2001年開幕戦。世間では「エボ6.5」とも呼ばれることになるWRカー規定部分適用版であるグループA仕様のランサーエボリューションⅥを駆ったトミー・マキネンはモンテカルロラリー3連覇を達成した。続く第2戦スウェディッシュラリーではスポットで起用した地元スウェーデンのトマス・ラドストロームが、初めて駆った三菱車を2位に導く。さらに、大荒れのマッドコンディションとなった第3戦ポルトガルラリーではマキネンが盤石の走りで再び勝利。わずか2点の改良によって、グループAランサーエボリューションは見事に息を吹き返したのである。進撃はさらに続いた。第4戦カタルニアラリーでは序盤のギヤボックストラブルを乗り越えたマキネンが後半に猛烈に追い上げて3位に。第5戦アルゼンチンラリーでも4位に入り、第8戦サファリラリーでは緩急をつけた完璧な配分の走行ペースで圧勝。堂々ポイントランキングのトップを走り続けた。

そして10月、三菱自動車初のWRカーであるランサーエボリューションWRCが当初の計画どおりにサンレモラリーでデビューを果たす。だが、大いなる注目をもって迎えられたこの車は、エンジンや駆動系の主要なコンポーネントにはWRカー規定の自由度を活かしていたが、時間の制約からWRカー規定に根本から則った開発を行うことは諦めざるを得なかった。それは車体についても同様で、シーズン後半の4戦を戦ったランサーエボリューションWRCはまさに生みの苦しみを味わうことになる。マキネンはこの間に1度しか完走できずに終わり、特に第12戦ツール・ド・コルスでは大クラッシュを喫してしまった。それでもマキネンは、ランキング3位で終了。ポイントの大半がグループA仕様のランサーエボリューションによって稼ぎ出されたものであり、ドライバーズとマニュファクチャラーズ合わせて5つの世界タイトルを獲得してきたグループA仕様のラリーカーの底力を改めて知らしめる結果となった。