前年、アジア・パシフィックラリー選手権(APRC)の最終戦タイラリーで初めてアクティブデフを搭載し、初陣にして見事勝利を挙げていたランサーエボリューションⅡは、1995年の開幕戦モンテカルロラリーから世界ラリー選手権(WRC)に臨んだ。この年は参戦体制に大きな変化があった。一つは、トミー・マキネンの正式起用。もう一つが、これまで静観してきたターマック(舗装路)ラリーへの積極的な出場である。ケネス・エリクソンをグラベル(未舗装路)ラリーに、そしてターマックではアンドレア・アギーニ(イタリア)を出場させ、新加入のマキネンは通年参戦させるという体制を取った。
Rd. |
name |
Country |
1 |
Rallye Monte Carlo |
モナコ、フランス |
2 |
Swedish Rally |
スウェーデン |
3 |
Rallye de Portugal |
ポルトガル |
4 |
Tour de Corse |
フランス |
5 |
Rally New Zealand |
ニュージーランド |
6 |
Rally Australia |
オーストラリア |
7 |
Rally Catalunya |
スペイン |
8 |
RAC Rally |
イギリス |

初戦のモンテカルロでは、マキネンが4位に食い込み、アギーニも6位に。そして第2戦スウェディッシュラリーではエリクソンとマキネンの2台のランサーが異次元の走りを見せ、ランサーエボリューション初のWRC総合優勝を1-2フィニッシュという圧倒的な内容で勝ち取ることになった。

そして三菱自動車は、第4戦ツール・ド・コルス(フランス)で、ランサーエボリューションⅢをデビューさせる。さらに大型化したインタークーラーと巨大な開口部を持つフロントバンパー、大型リヤスポイラー等を市販モデルの時点から装備し、グループA仕様には通常アンチラグシステムといわれる二次エア供給システムが備えられた。これは加速時のスロットル操作に対するターボレスポンスを向上させることを狙った機構で、吸気リストリクター径がφ38mmからφ34mmへと縮小された新規定に対する三菱自動車の回答だった。コルシカでのランサーエボリューションⅢは、アギーニが期待どおりに3位でフィニッシュ。第5戦ニュージーランドラリーでは、結果はコースアウトで終わったものの、マキネンが第2レグの序盤までトップを激走。そして第6戦オーストラリアラリーでは、エリクソンがエボリューションⅢにとっての初優勝をもたらした。シリーズが終わってみればエリクソンがドライバーズランキング3位でマキネンが5位。マニュファクチャラーズ選手権でも2位となり、ついに頂点が見えてきた。

なお、1990年代前半は各ラリーがWRC格式とW2L(2.0L車の世界ラリー選手権)格式で毎年交互に開催されるローテーション制が採られており、この年W2Lとしての開催となったサファリラリーで篠塚健次郎が2年連続となる2位。同じく1000湖ラリー(フィンランド)ではマキネンが優勝を飾っている。一方、APRCは全6戦中4戦を制してマニュファクチャラーズタイトルを獲得。エリクソンがドライバーズチャンピオンに輝いた。この年、もう一つ見逃せないのがWRC併催のグループNカップでラリーアート・ジャーマニーがランキング上位3位までを独占したこと。以後、市販車の基本性能の高さが直接勝敗に結びつくグループNの覇権は三菱自動車ユーザーが独占していくことになる。