三菱のマークはどのようにして決まったのですか? 三菱のマークはどのようにして決まったのですか?

こたえ

家紋(かもん)()()わせてつくりました。
三菱(みつびし)」の歴史(れきし)は、1870(ねん)明治時代(めいじじだい))に(いま)高知県(こうちけん)(さむらい)だった、岩崎弥太郎(いわさきやたろう)海運会社(かいうんかいしゃ)をつくった(とき)から(はじ)まり、1873(ねん)会社(かいしゃ)名前(なまえ)を「三菱(みつびし)」としました。三菱(みつびし)のマークは、その岩崎弥太郎(いわさきやたろう)家紋(かもん)三階菱(さんがいびし)」と土佐藩(とさはん)藩主(はんしゅ)である山内家(やまうちけ)家紋(かもん)()(がしわ)」を()わせたもので、明治(めいじ)43(ねん)現在(げんざい)三菱(みつびし)マークになりました。
また、三菱(みつびし)マーク(スリーダイヤ)が(あか)いのは、明治時代(めいじじだい)岩崎弥太郎(いわさきやたろう)(ふね)使(つか)って輸送(ゆそう)仕事(しごと)をしていましたが、その時使用(ときしよう)していた(ふね)(はた)白地(しろじ)(あか)のスリーダイヤだったことに由来(ゆらい)しています。

三菱(みつびし)マークのなりたち