三菱自動車のクルマはどのようにして作られているのでしょうか。調査、企画、デザイン、設計、試作、テスト、購買、生産、物流、販売 という一連の工程があり、それぞれの行程を高い技術力を持ったプロフェッショナルが担っています。本シリーズでは 各職場で働く人々を紹介していきます。今回は、三菱自動車の最大拠点、岡崎製作所を案内します。
愛知県岡崎市にある岡崎製作所は、1962(昭和37)年にテストコースとしてスタートし、77年の工場完成とともにクルマの生産を開始した。敷地面積は約100万㎡(東京ドーム約22個分)。2024年10月には通算700万台の生産を達成した。今回、岡崎製作所について説明してくれるのは、副所長を務める齋藤敬史氏である。まず、工場の特長から聞いた。

岡崎製作所
「岡崎工場は、素材から部品を作り、組立にいたるまで一貫した工場になっています。例えば、バンパーなどは樹脂の素材から成形、塗装まですべて内製でやっています。なかでも多車種混流生産と言っていますが、他のメーカーの工場の方が見学に来られて一番びっくりされるのは、いろんな車種がラインを一度に流れている工程です。そこに三菱自動車の知恵と工夫が詰まっています」
多車種混流生産とはどういうものか。岡崎製作所では、『アウトランダー』『エクリプス クロス』のそれぞれのガソリン車とPHEV、『デリカD:5』と5車種の乗用車を造っている。生産ラインでは、それらのサイズが異なり、色とりどりに塗装されたクルマのボディが、混在してラインの上を流れて来る。

「生産規模が大きければ、その車種専用のラインを持てば良いわけですが、三菱自動車では、グローバルで生産台数が年間約100万台、そのうち岡崎製作所は約20万台規模の工場です。同じ車種でも、グレード別に部品種別が違いますし、各国の保安基準などに応じても部品点数が異なります。ひとつのラインで様々なパターンのクルマを作らなければなりませんが、品質不具合を出さないよう、そしてコストも鑑みながら、どうやって作ったら良いかを極めていった結果、今のスタイルになりました」
それでは「知恵と工夫」の一端を紹介しよう。組立の工程で、ラインの上を次々と流れて来る異なる車種に、作業員が手際よく部品を取り付けていく光景は圧巻である。よく見れば、流れて来る車種に応じて、そのクルマに使う部品を積んだ台車が順番にラインサイドに運ばれて来る(キット供給)。作業員はその台車から、部品を取り出して車体に組み付けている。 キット供給場の作業員はランプによって指示された部品を台車に載せる。組立ライン作業員が部品選定をすることがなく、効率良く作業ができるようになったのは、部品を選択する作業と組み付ける作業を完全に切り離したからである。
当然、生産工程の機械化は進んでいるのだが、一部の工程では人手を残している。理由のひとつは、技術の伝承のためだ。三菱自動車は、タイを中心にして、アセアン諸国に海外生産工場を設けているため、そこでの技術指導が不可欠となるからだ。
「溶接工程は約99%がロボットによる作業です。現在、744 台のロボットがあり、1台のクルマに4000 から4500か所くらいのスポット溶接をロボットが行っています。とは言いながら、海外では自動化していないところもあります。そのため、昔ながらの手打ちの技術を持っておかないと海外へ技術指導に行くことができなくなります。塗装工程についても、水漏れを防ぐためのシーリング工程のところで、ドアのところだけはマニュアル工程を残しています。自動化率でいうと約90%です。当然、スキルを伝えに行くのは我々ですので、人による高度な技術を継承しています」
溶接組み立てライン
※「クルマづくりマイスター内バーチャル工場見学」より引用
「組立工程は、私が入社した当時、どこの工場も自動化を進めていました。しかし最近の主流は半自動で、重たいものは助力装置を入れて人の手で作業を行っており、岡崎製作所の自動化率は2%程です。品質保証するうえで、基本的にはロボットを使うよりも、人の方がやりやすい。例えば、ナットの締め付けなどは、5つあればそれぞれ締める力が違う。新しい車種がくると、ロボットではその都度設定を変えていく必要がありますが、人だと訓練していればすぐ対応できるので時間もコストも最小限で済みます」
お客様にとって何より重要なのは品質の保証である。そのために三菱自動車では最終的な検査体制においても他社に先駆けて自動化の仕組みを取り入れた。
「基本的なコンセプトとして、工程内完結というポリシーを掲げています。ラインで次の工程に不具合のあるものを流さない。もし流れたらラインを止める。例えばナットの締め付けで、それぞれきちっと設定されたトルクで締め付けられると、音がピッと鳴り、すべてが完了すると、緑のランプが点灯して、次の工程ラインに流れていくようになっています。それで工程内完結品質が保証されているというわけです」
「最終的な検査の工程では、タブレットを持った検査員が配置されています。我々が認定した検査員でなければ検査ができず、そのタブレットには登録された本人の指紋認証でしか入れません(e-check システム)。流れてくるクルマに応じた検査項目が、タブレットに表示される仕様です。そしてタブレットに入力した検査項目すべてがOKでないと、最終的に出荷できないようになっています」
ここで、こうしたシステム化された技術と、それを駆使する作業員を束ねる齋藤氏の経歴について触れておきたい。齋藤氏は、岡山県倉敷市の出身。地元への強い愛着心があり、東京の大学卒業後、倉敷市にある生産工場、水島製作所を持つ三菱自動車を志望したという。1992年4月の入社である。
「当時はバブルの絶頂期、僕は技術系の本社採用で、同期は事務系、技術系を合わせて400人くらいが入社しました。同期は本社とか愛知で開発をしたいと言っていましたが、僕は地元に帰りたかったので水島製作所を希望しました」

水島製作所
水島製作所部品工作部板金課を振り出しに、組立、塗装、溶接と一通りの現場を経験し、2018年岡崎製作所に異動。次長、部長を経て24年4月現職に就任した。その間、2度、タイにある三菱自動車の工場へも派遣されている。齋藤氏は入社当時を懐かしそうに振り返る。
「最初の仕事場がプレス。鉄板からガシャーンとどんどん作っている部署で、当時は職人みたいな人ばかりいる中にポツンと入れられて、ここでやっていけるのかなと戸惑いました。毎日、真っ黒になって働いていましたね」
先にも触れたが、三菱自動車はアセアン諸国に工場を展開している。そのうち岡崎製作所はタイとベトナムの工場を、水島製作所がインドネシア、フィリピンの工場を担当し、技術交流を行っている。タイには3つの工場があり、アセアン向けに『パジェロスポーツ』や『ミラージュ』、昨年から日本でも販売されるようになった『トライトン』などが生産されている。齋藤氏は、2012年から4年間タイ工場に派遣されている。
「水島工場で組立から塗装課に移り、1年課長をした後、タイへ派遣されることになりました。ちょうど3つ目の工場を新設するタイミングで、僕はまだ塗装の経験が1年しかないのに、塗装工場の立ち上がりを担当、その後バンパーの樹脂工場の立上げも経験しました。何にもない新地に図面から考えて、バンパーの成型機を入れて、塗装のブースを入れて。タイ人と日本から来た支援の駐在員と一緒になってやりましたが、それは苦労しましたね。課題が次々と出てきましたが、『現場と一緒にモノを見て、考える』ことを大切に、スタッフ一丸となって対応しました。タイのバンパー工場を立ち上げた後は、水島製作所に戻って今度は溶接担当の課長になったわけです」
2018年に水島から岡崎製作所に異動後、21年から3年間にわたる2度目のタイ赴任では、24年に日本向けに発売した『トライトン』の立ち上げを担当した。こうした海外赴任と国内工場で一通りの現場を担当した豊富な経験が、副所長たる齋藤氏の強みであるだろう。

『トライトン』
「僕は現場一筋でやってきましたが、三菱自動車には、例えば組立一筋30年といった職人の方が大勢いますが、僕のように全工程を経験した人はあまりいないかと思います。その経験から、『現場と一緒にモノを見て、考える』というスタイルは変えずにやっていきたいと思っています。工場全体を見る立場として、トップダウンではなく、作業員とフランクにいろんな意見をかわしながら、2Wayコミュニケーションで対応できることはすぐにしてあげる。それが仕事のモットーです。これは現場を一通り知っている人間が管理職をしていることの、社員にとってのメリットだと思っていますので、これからも大事にしていきたいですね」
そして最後に、力強く言葉を結んだ。
「三菱自動車の歴史を見れば、いくつも困難なことがありましたが、それを何度も乗り越えて来ました。今は外へ向かって、自信をもって良いクルマをお客様に提供できていると言えます」

三菱自動車のクルマづくりは、最新技術と、伝承される技能に加え、それを支える人の手と、人と人との対話が支えている。例えば、工程の中で培われる知見、現場で交わされる言葉、そして技術や知見の次世代への伝承。これらすべてがクルマづくりに通しているといえるだろう。