「EV革命を起こす」という、経営陣の強い想い

小型が主流だったリチウムイオン電池に着目

プロジェクト開発マネジメント部
貴志 誠
量産車開発の取り纏めを担当。
2006年頃から『アイ・ミーブ』、
その後も軽自動車EVを担当。

三菱自動車のEVへのチャレンジは古く、まだ自動車製造が三菱重工業の1事業だった1966年に研究をスタート。70年代には『ミニカEV』や『ミニキャブEV』を開発しました。1990年に米国カリフォルニア州が自動車メーカーに対して一定量のZEV(Zero Emission Vehicle=無排出ガス車)の販売を義務付けるZEV規制を施行すると当社もEVの開発を加速しますが開発の壁になったのが電池でした。当時、採用されていた鉛電池は重く、車両重量の半分を占めるほど。また、使い方によって電池容量が大きく変わるため、航続距離が安定しませんでした。EVの開発に従事していた当時の開発担当者は「コスト的にも性能的にも鉛電池では限界があると痛感させられました。鉛電池は使い方によって航続距離が大きく変化してしまうんです。1993年には100%EVの『リベロEV』を官公庁や法人向けに販売したものの、『昨日行けたところになんで今日は行けないんだ』とクレームが殺到しました」

『リベロEV』

新しい電池の開発が喫緊の課題になる中、当社が注目したのがリチウムイオン電池です。
リチウムイオン電池は軽くて小型ながら、エネルギー密度が非常に高いという特徴があります。1991年に商品化されましたが、当時製造されていたのは携帯電話やパソコン向けの小型電池だけ。EVに搭載できるような大型電池の開発に協力してくれる会社はなく、探し回った結果、リチウムイオン電池の大型化に興味を持ち、協力してくれる企業がやっと見つかりました。
1995年には、リチウムイオン電池を搭載したプラグインハイブリッド車『三菱HEV』が完成。航続距離は60マイル(約96km)に達し、世界を驚かせます。カリフォルニア州大気資源局(CARB:California Air Resources Board)の実証試験を受けることになりましたが、米国にいるスタッフから「クルマが燃えました」と連絡が入りました。電圧の高い鉛電池用の充電器を使ったため過充電になり発火したことが原因でした。
そこで、送電圧だけではなくセルの電圧や温度を管理できるバッテリー・マネジメント・ユニットを開発。1996年10月、新たな『三菱HEV』でCARBの実証試験をクリアしました。

『三菱HEV』

その後、日本電池(現:ジーエス・ユアサコーポレーション)と量産型リチウムイオン電池の開発をスタートし、1999年には95Ahという大容量の量産型リチウムイオン電池が完成。その電池を搭載した『FTO-EV』は、20分で急速充電し時速130kmで走行、当時の1,700kmというギネス記録を破る2,142kmを走りました。
さらに、リチウムイオン電池を搭載した『コルト』や『ランサーエボリューション』のEVを試作し、三菱自動車が目指すEVの未来像を模索しました。

『コルトMIEV』

『ランサーエボリューションMIEV』

ラリーで培った制御技術と電動化の技術を掛け合わせる

2005年、当社のEV開発が加速。製品開発本部プロジェクト開発マネジメント部の貴志誠は、役員からの電話を昨日のように覚えていると話します。
「1997年に京都議定書が採択され、環境に対する意識が高まる中、当社の経営陣には『自動車メーカーとして量産型EVを開発しなければいけない』という強い使命感があったのだと思います。2005年の秋、役員からいきなり電話がかかってきて、『世界で最初に量産のEVを出す。今やっている仕事は全部やめていいから、そのプロジェクトのマネジメントをやってくれ』と言われました。EVが量産されるのはまだ先の話だと思っていたので驚きました」
他の自動車メーカーもEVの研究をしていたものの、量産・販売に向けて動く会社はなかった時代。ただ、貴志は技術的にハードルが高いわけではないと感じていました。
「リチウムイオン電池はエネルギー密度が高いので使い方を間違えると危険なんです。どうすればモーターに流す電気を自在に制御できるのか。使い切る瞬間まで安全を確保するにはどうすればよいのか。当社は早くから着手していたので、そうした点にアドバンテージがありました」
当社が「安全に楽しくクルマを走らせる技術」を磨き続けたこともEV開発においてプラスになりました。
「たとえばモーターで加速するときに、急激にトルクが上がってしまうようならドライバーは不快に感じるし、使いにくいクルマになってしまう。どうすればモーターの特性を活かしながら運転して楽しいクルマにできるのか。当社は、『コルト』や『ランサーエボリーション』といった走りを楽しむことのできる市販車を造り変えつつ、モーターの制御技術を磨いてきました。だからこそ、EVの制御技術とラリー車などで磨いた技術を掛け算することができたのです」
ベース車として選ばれたのは『アイ』。リア駆動の軽自動車で、フロントノーズを短くするために、エンジンはラゲッジルームの下にマウントされ、燃料タンクは車室の下に配置されていました。ホイールベースと呼ばれる前輪と後輪の車軸間の長さが2,550mmと長く、広い室内空間を確保していたのも『アイ』の特徴です。
「EVの開発で難しいのが、重量が重く大きいバッテリーのレイアウトです。『アイ』はロングホイールベースなので、燃料タンクを設置していた床下のスペースを拡張できます。モーター、トランスミッション、インバーター、車載充電器などはエンジンルームにレイアウトすればいい。EVには最適のプラットフォームでした」

『アイ』

『アイ・ミーブ』のレイアウト図

経営陣の意思が社内に浸透したからこそ世界初の偉業を実現できた

2009年、ついに量産型EV『アイ・ミーブ』が市場に投入されました。居住スペースと積載スペースは『アイ』と同レベルの広さを確保し、使い勝手のよさを継承。搭載するモーターの最高出力は47kW(64PS)/3000~6000rpmで、最大トルクが180N・m(18.4kgf・m)/0~2000rpm、最高速度は130km/h。リチウムイオン電池の総電力量は16kWh、総電圧は330Vで、フル充電時の航続距離は10・15モードで160kmと日常ユースには十分な距離を確保していました。

『アイ・ミーブ』

リチウムイオン電池

モーター

何よりも市場を驚かせたのが 静かでキビキビとした走りです。EVならではの静粛性と快適な走りを実現。応答性に優れ、低速から高いトルクを発生する電気モーターの特性を活かし、レスポンスの良い力強い走りを実現しました。
「ほぼ当初の計画どおりの日程で『アイ・ミーブ』を発売できたのは『三菱自動車がEVを世界で最初に出すんだ』という意識を全社で共有できたから。世界初の量産車としてT型フォードの販売が開始されたのが1908年。その100年後に当社が量産のEVを販売して自動車の歴史を変えると経営陣が号令をかけ、それが社内に浸透した成果だと思います。ガソリン車やディーゼル車しかつくったことのない水島製作所では、最初『生産ラインにEVを流せるわけがない』という声もありましたが、足繁く通って話をすると、みんなが前向きに取り組んでくれた。だからこそ、EVの生産技術をどこよりも早く確立することができたのだと思います」
結実させたEVの技術を未来につなげたい、それが貴志をはじめとするEV開発チームの悲願となっていきます。そして、13年もの苦難の日々を乗り越え、EVの灯りは消されることなく、2022年に発売された『eKクロス EV』へと継承されていきます。

右から『eKクロス EV』『アイ・ミーブ』『ミニキャブ・ミーブ』