『デリカ』の原点と本質

『デリカ』の誕生から55年。日本で50年以上、同じ車名を継続して販売されているクルマはそれほど多くありません。多くの方に長く愛され続けるに至った『デリカ』の変遷、受け継がれる『デリカ』らしさについて紐解きます。

プロユースの4WDを誰でも楽しめるツールに変えた

商品企画部
上原実
『デリカD:5』の商品企画を担当。

日本のいわゆる高度経済成長期にあたる、1968年7月に誕生した『デリカ』は、社会資本の充実を目指して多くの物資が日本全国を行き交う中で、「様々な道路状況において、確実に乗員や荷物を目的地まで運ぶクルマ」として開発されました。『デリカ』の名は、「デリバリーカー」という用途が由来となっており、初代は商用車として物資輸送の一翼を担ったクルマでした。
79年に生まれた2代目では、乗用車の『デリカスターワゴン』に日本初となる4WDモデルを追加してアウトドアブームの火付け役になります。
「『デリカ』が独自の道を歩み出したのが、この2代目からでしょう。この頃から世間では週休2日制が進み、余暇を楽しむ人たちが増えてきて、スキーやキャンプなどのアウトドアがブームになっていきました。商用車だった『デリカ』に家族旅行に使うワゴン車が設定され、アウトドアのレジャーにも使えるようにしたのが『デリカ』の独自性の源流であり、三菱自動車らしさの始まりでもあったと思います」と、上原は当時に思いを馳せます。
画期的だったのは、元々、クロスカントリー4WD車の『三菱ジープ』やピックアップの『フォルテ』についていた四輪駆動システムを乗用車に採用したことでした。当時は一般の乗用車に本格的な四輪駆動システムが搭載された商品は稀でした。ではプロが使うような機能をなぜ、一般車に用いようと考えたのでしょうか。
「ツールとして、本当に使いやすいことにこだわったということです。プロユースであろうと、使いにくかったり、余分な力を必要とする道具だったりすると仕事の効率は悪くなってしまいます。プロの要求に応えるだけでなく、使いやすさにもこだわるのが三菱自動車のモノづくり。プロユースであろうと、普通の人が使いこなせることを大切にしていたのです。」
当時の4WD技術は悪路を走ることができたものの、乗り心地は悪く、プロフェッショナルのドライバーでないと乗りこなせないものでした。当社は誰にとっても乗りやすく、負担なく楽しめることを念頭に4WD技術を進化させてきたからこそ、4WD技術を乗用車に組み込むという画期的な発想が生まれました。
「三菱グループは国がやるような規模の社会インフラを構築してきましたし、海外の先端技術を日本に持ってきて、それを民間レベルで活用し、世の中を便利にするような役割を果たしてきました。ですから、仕事用につくられたプロユースのものを一般用に変換して、生活を楽しく豊かにするということに長けていたのではないでしょうか。当社にもそうしたカルチャーが潜在的に根付いているように思います。お客様の今あるニーズに応えるだけでなく、『こういうクルマがあったら、こんな楽しみ方ができますよ』と、ライフスタイルを提案するような気持ちがあったはずです。そうでなければ、先行車がない中で、こうしたユニークなクルマはつくれなかったと思います。」

初代デリカ

2代目デリカ

『デリカ』は新たなライフスタイルを牽引した

当時は後輪駆動車が多かったため、スキー場に向かうような雪の山道で後輪がスリップするばかりで動けなくなるクルマのなんと多かったことか。4WD技術を採用した『デリカ』や『パジェロ』は、雪道や悪路を走ることが多いスキーヤーやキャンパーに大いに喜ばれ、4WD車は非常に価値のあるものとして普及していきました。まさしく、世の中に4WDニーズをつくり出したのです。
86年には、7年ぶりにフルモデルチェンジした3代目がお目見えします。モノコック構造を採用し、レジャーシーンで活躍する、より快適で便利なクルマとして登場しました。
ただ、当時は一般的にクルマと言えばモノコック構造よりも、フレーム構造の方が頑丈なイメージがあったため 、こだわりのあるファンからは、モノコック構造に変更した3代目に対し、これは『デリカ』ではない、という声も上がったと言います。
「ただ使ってみると3代目の方がはるかに使い勝手が良かったので、みなさんどんどん3代目へのシフトが進んでいきました。
『デリカ』と同じような体験のできるクルマは他にないというお客様の声もよく聞きましたね。『デリカ』はどのような道路状況においても、乗員や荷物を確実に目的地まで運ぶクルマというだけでなく、新たなライフスタイルをもつくりだした稀有なクルマでもあるのだと思います。」

3代目デリカ