
2003年大会は南仏のマルセイユをスタートし、スペイン、チュニジア、リビアを経由してエジプト・シナイ半島先端のシャルム・エル・シェイクにゴールする新コース。パリ、ダカールの双方とも起終点としないのは25年の歴史の中でもこれが初めてで、総走行距離は8,576km、うち競技区間(SS)は5,254kmである。休息日はエジプト北西のオアシスであるシワで、前半戦のリビアが実質的なメインステージとなった。

三菱自動車チームはダカールラリーで培ってきた技術と、2001年フランクフルトモーターショーに出品したコンセプトカーのデザインを融合させた全くのニューマシン、パジェロエボリューション・スーパープロダクション仕様(MPR10)を開発した。チューブラーフレーム構造の車体は高剛性かつ軽量に仕上げられ、従来車より車高を下げながら最低地上高を上げ、前面投影面積を減少させて空力性能を向上させている。また、エンジン搭載位置を下げつつ後方にレイアウトして低重心化と前後重量バランスを最適化。四輪独立懸架式サスペンションと相まって優れた運動性能を発揮する。エンジンは3.5Lの6G74型MIVECガソリンエンジン。軽量化を図りながら、最高出力を270PSに向上させた。また、トランスミッションには初めて6速のシーケンシャルタイプを採用。なお、三菱自動車のモータースポーツ活動がドイツ・フランクフルトに本拠を置く統括会社MMSPを核とする体制に一新され、フランスのSBMはMMSP直属のクロスカントリーラリーの活動拠点となった。
この年の三菱自動車チームは増岡とフォントネに加え、二輪部門で通算6勝のペテランセルと元WRC王者のミキ・ビアシオン(イタリア)を迎えた4名体制となり、増岡とペテランセルがパジェロエボリューション、フォントネとビアシオンがパジェロのスーパープロダクション仕様で参戦した。
第25回大会にはバタネンや篠塚の日産ピックアップ、クラインシュミットのフォルクスワーゲン・ターレックなど強豪が顔を揃えて混戦が予想されたが、ラリーがスタートするとライバルのパフォーマンスは及ばず、序盤から増岡とペテランセルによる三菱自動車チーム同士の首位争いになる。増岡は前半戦で一旦首位に立つものの翌日にはペテランセルが逆転し、以後はペテランセルを増岡が追う展開となる。増岡は相次ぐパンクなどで一時は25分以上離されるが、ゴール前日にペテランセルが岩にヒットしてフロントサスペンションを破損させてストップ。これで増岡が逆転首位に立つという劇的な展開となり、増岡が日本人初の2連勝を果たした。フォントネ、ペテランセル、スーザのストラーダがこれに続き、1~4位独占の圧勝で3連覇・通算8勝目を飾った。また、ディーゼルエンジン搭載のパジェロを駆ったジャン・ルイ・モンテルド(フランス)が総合10位でスーパープロダクション・ディーゼルクラス2位、同じくコルバーグが総合13位のクラス3位でアマチュア・トロフィーを受賞するなどプライベーターも健闘。二輪から四輪に転向した女性ドライバー、アンドレア・マイヤー(ドイツ)も総合21位のクラス4位で完走した。