
第11回大会は総走行距離10,794km、うち競技区間(SS)6,281km。規模は前年と大きく変わらないが、スタートは一週間早められて12月25日に南仏のベルサイユをスタート。年明け3日にニジェールのアガデスで休息日を採り、13日にはダカールのラックローズにゴールするという日程となる。
この年のダカールラリーは、政情不安から初めてアルジェリアを通らないコースを選択し、チュニジアの首都チュニスからアフリカに上陸。リビアを南下してテネレ砂漠の東側に到達する新ルートを開拓した。また、国際自動車連盟の規則制定によりクロスカントリーレイドが創設され、グループT規定が導入されることになる。従来の市販車無改造クラスは「T1」、市販車改造クラスは「T2」、プロトタイプクラスは「T3」に類別された。実際には従来のダカールラリーの規則をベースにしたものであり大きな変更はなかったが、T1とT2のベース車両には、連続する12ヶ月に最低1,000台以上の生産台数を要件とするグループTの車両公認が必要となった。

1988年4月、乗用車技術センター(愛知県岡崎市)にモータースポーツチームを設置し、ダカールラリーへの取り組みを強化した。同チームは主に先行開発を担当し、ラリーカーの製作から大会への参戦は従来通りソノート社から委託されたSBMが行った。同チームは早速、1989年に向けてプロトタイプの改良に着手すると同時に、次期モデルのベースとして日本サイドから提案する先行研究車「岡崎プロト」の開発に取り掛かった。89年モデルはオーバーヒート対策をはじめとする信頼性と性能の向上がテーマとされ、具体的にはラジエーターの大型化とレイアウト変更、デフキャリアやデフハウジングのアルミ化、ヒューランド社製5速トランスミッションの採用などが施された。なお、エンジンはターボチャージャーの吸入口径を45mm以下に制限する規定が盛り込まれたが、コンプレッサーの改良により従来同等の出力を確保している。三菱自動車チームからは、コーワン、ラルティーグ、ダ・シルバ、篠塚、タンベイ、フォントネがパジェロ・プロトタイプの89年モデルで出場した。
この年も三菱自動車チームはプジョーワークスとの熾烈なトップ争いを演じたが、三菱勢は現地で調達した粗悪なガソリンの影響によるエンジントラブルが頻発し、先行するプジョーを逆転することが出来ず。パジェロによるSSトップタイムも篠塚が終盤のマリからギニアのSSで記録した一度のみであった。それでもタンベイが総合3位となり、以降、タイスターマン5位、篠塚6位、フォントネ7位、ダ・シルバ10位と、パジェロは上位10台中5台を占め、信頼性の高さをアピールした。さらに3.0Lの6G72型V6ガソリンエンジンを搭載したパジェロで出場したマロー兄弟組(フランス)は総合17位に食い込み、市販車改造クラスで優勝した。