
第31回大会は新天地となる南アメリカ大陸のアルゼンチン~チリに舞台を移して開催された。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスをスタートし、アンデス山脈を越えてチリに入国、同国を北上してアタカマ砂漠を越え、その後、東方へと向かって再びアルゼンチンに入国、同国第2の都市コルドバを経由して、ブエノスアイレスにゴールするという、総走行距離9,574km、うち競技区間(SS)5,652kmの環状コース。灼熱のアタカマ砂漠やパタゴニアの荒野、標高3,000mを超えるアンデスの山岳路など、過酷なステージが設定された。

2009年、ダカールラリーは舞台を欧州~アフリカから南米に移した。「私が冒険の扉を示す。 開くのは君だ。望むなら連れて行こう」とはダカールラリー創始者サビーヌの言葉。南米での新たな冒険の扉が示され、三菱自動車チームはこれを開いた。南米開催の新ダカールラリーに向け、パジェロエボリューションの技術を踏襲したレーシングランサー・スーパープロダクション仕様を新開発。ホイールベースの延長により燃料タンクの搭載位置を下げて低重心化し、ランサー スポーツバックをモチーフとしたカーボン製ボディパネルを纏う。搭載するのは3LのV型6気筒ディーゼルターボエンジンで、全域で高出力を発揮する2ステージターボシステムを採用。これは大型と小型のタービン2個を備え、回転数と負荷に応じて大小のタービンを協調させるシステムで、最高出力は280PSながら、最大トルクは66.3kg-mを実現。クロスカントリーラリーの実戦を通じて低圧縮比燃焼や高圧燃料噴射といったディーゼル技術の開発を進めると同時に、カーボン・ニュートラルのバイオ燃料を混合した軽油を使用する。
チームは増岡、ペテランセル、アルファン、ロマの盤石な体制で臨み、8連勝・通算13勝を目指した。
初めての南米開催となったダカールラリーで厳しい戦いを強いられる。ディーゼルターボエンジンの開発で中心的な役割を担ってきた増岡は初日のSSで快走を見せるもエンジントラブルで早々にリタイア。また、アルファンはコ・ドライバーの突然の体調不良により序盤戦でリタイアを余儀なくされてしまう。さらにペテランセルは転倒の影響によるエンジントラブルでストップし、前半戦のうちに戦列を去った。唯一生き残ったロマは3台のフォルクスワーゲン勢に続き4番手で後半戦に臨むも、終盤で電気系統の不調により大きく後退。自身初のSSトップタイムを記録するが総合10位となり、三菱自動車チームの連勝記録は7でストップした。優勝はVWのドゥビリエで、これにミラーが続いて1-2フィニッシュ。3位にはハマーH3を駆るロビー・ゴードン(米国)が入っている。