
第24回大会は、パリ北部の都市アラスをスタート地点とし、スペインのマドリッドを経由してモロッコに上陸。2回のループコースを設定したモーリタニアをメインステージとし、セネガルのダカールに向かうルートで行われた。総走行距離は9,427km、うち競技区間(SS)は6,952kmである。
この年のダカールラリーは国際自動車連盟の技術規則更改時期にあたり、主催者は新規定を先取りして独自規則を制定した。これに伴い、市販車改造クラス(T2)は新たに設定された「スーパープロダクション部門」として従来のプロトタイプクラス(T3)と併合。従来の市販車無改造クラス(T1)は実質的な変更なしに「プロダクション部門」に移行した。スーパープロダクション部門では、車体のFIA公認が不要でありチューブラーフレーム構造も可能。量産車のモノコックの使用や外観の保持といった制約もなくなった。

この新規定のもと、三菱自動車は2002年大会に向けて、基本性能と信頼性の確認されているT2仕様をベースとしたスーパープロダクション仕様で参戦した。これまでT2仕様では出来なかった改良を随所に施した格好であり、ボディでは軽量化と低重心化を図った。エンジンは圧縮比を高めるとともにカムシャフトを変更して低中速性能を向上。最高出力は260PS、最大トルクは36kg-mとなった。駆動系ではギア比を変更、ドライブシャフトを強化し、サスペンションを改良して走破性を高めている。三菱自動車チームは、このパジェロ・スーパープロダクション仕様を篠塚、増岡、クラインシュミット、フォントネがドライブし、スーザがL200・スーパープロダクション仕様で出場する体制とした。
前回大会の雪辱を期する増岡は、アフリカステージの初日にSSトップタイムを記録して首位に浮上。これに篠塚が続く。一方、最大のライバルであるシュレッサー・バギーはエンジンから出火して全焼し、早々にリタイアを喫する。序盤にトップを争った日産ピックアップのド・メビウスがエンジントラブルで後退すると、三菱自動車チームは上位4位までを独占する格好となった。
増岡と篠塚のトップ争いは後半戦に入ってヒートアップするが、篠塚が巻き上がる埃に視界を遮られてキャメルグラスに衝突してフロントを破損。さらに翌日にはスタックを喫して3位に後退した。これでリードを広げた増岡は2位クラインシュミットの追い上げを振り切り、文句なしの初優勝。日本人のダカールラリー制覇は1997年の篠塚に次ぐ2人目の快挙。三菱自動車チームはクラインシュミット、篠塚、フォントネ、スーザが1~5位を独占したのに加え、サエド・アルハジリ(カタール)のL200が6位、アルファンが7位でスーパープロダクション・ディーゼル部門を優勝、さらにパジェロのコルバーグが8位でゴールし、三菱車は上位8位までを独占。さらに10位にもニコラ・ミスリン(フランス)のパジェロが入り、三菱車はトップ10のうち実に9台を占める圧倒的なパフォーマンスを披露することとなった。