
99年大会は再びスタート地をスペインのグラナダとし、モロッコのラバトからアフリカに上陸。モロッコ、モーリタニア、マリへと南下し、ブルキナファソのボボジウラッソで休息日を迎える。その後、再びマリ、モーリタニアと北西に向かい、同国首都のヌアクショットからセネガルに南下し、ダカール近郊のラックローズにゴールする。総走行距離は9,270km、うち競技区間(SS)は5,597kmである。

この年は圧倒的な勝利をおさめた98年モデルをベースに、FIAクロスカントリーラリー・ワールドカップへのシリーズ参戦を通じて熟成を図った。注目点は走行中に車内からタイヤ空気圧を調整出来るようになったことで、これにより砂~岩~砂といった路面状況の変化にも最適な空気圧で走行することが可能になった。砂丘での脱出用にフロントデフにはロック機構が組み込まれ、砂漠での走破性が大幅に高まった。
三菱自動車チームは、篠塚、フォントネ、そして女性ドライバーのクラインシュミットがパジェロエボリューション・T2仕様をドライブし、プリエトが97年モデルのパジェロ・T3仕様で出場する体制とした。タイヤ空気圧調整装置は篠塚とフォントネの2台に装着され、専用ホイールの使用と相まってタイヤサイズもワンサイズ大きくなっている。また、増岡は6G74型MIVECガソリンエンジンを搭載したチャレンジャー・T3仕様で出場。プリエトと増岡は、三菱自動車ワークスからでなく販社チームからのエントリーとしてT3車両での出場が認められている。
ラリーがスタートすると三菱勢は早々に上位を占め、プリエト、フォントネ、クラインシュミットがそれぞれSSトップタイムを記録しながら、毎日首位の座を入れ替える展開となる。しかし、モーリタニアのティジクジャへのSSでクラインシュミットはスタックと3度のパンクで遅れ、シュレッサー・バギーのホセ・マリア・セルビア(スペイン)がトップに立つ。すでにフォントネは冷却水漏れやウインドウ破損などで後退しており、篠塚もこの日はガス欠、増岡もクラッチトラブルに見舞われるなど、不運なトラブルが相次いだ。その後、セルビアがスタックを喫すると、僚友シュレッサーが首位に浮上する。これを追う三菱勢はプリエトが2位、クラインシュミットが3位で前半戦を折り返した。後半戦に入って篠塚やフォントネ、クラインシュミットがSSトップタイムを叩き出して気を吐く半面、前半戦を2位で終えたプリエトはスタックで遅れる場面もあってシュレッサーとの差は縮まらず、結局33分38秒差の総合2位。これにクラインシュミット3位、篠塚4位、増岡6位と続き、後半戦はサポートに徹したフォントネも9位。三菱自動車チームは3連覇を果たせなかったものの16ヶ所のうち11ヶ所でSSトップタイムを記録し、走破性と信頼性の高さをアピールした。一方、市販車無改造クラスではパジェロエボリューションで出場したアルファンが優勝。クレベール・コルバーグ(ブラジル)が続いてパジェロが1-2フィニッシュを果たした。