
第19回大会はこれまでゴール地として親しまれてきたダカールをスタート地とし、往年の大会で休息日に設定されたニジェールのアガデスを経由して再びダカールにゴールするという奇抜なルートが設定された。15日間での総走行距離は7,967km、うち競技区間(SS)6,331kmを走破する。往路はセネガルからマリ、ニジェールとほぼ東に向かってアガデスに至り、復路はマリからモーリタニアを通ってダカールへ戻る設定である。車両規則の改定にともないシトロエンワークスは撤退し、元世界スポーツプロトタイプカー選手権チャンピオンのジャン・ルイ・シュレッサー(フランス)が自らのチームで製作した2WDバギーが最大のライバルになると目された。新規定では性能調整を図る目的から最低重量を定めたが、パジェロに対してシュレッサーの2WDバギーは1,200kgと300kg以上も軽い。フラットな高速ステージでの最高速は圧倒的であり、比較的高速ステージの多いコース設定と相まって、シュレッサー・バギーはT2時代の三菱自動車最大のライバルとなっていく。

ダカールラリーの四輪部門は新しい時代を迎えた。主催者の独自規定によって、メーカーによるT3車両でのプロトタイプクラスへのエントリーが禁止され、同時にガソリンエンジンの過給機が全面的に禁止された。つまり、プライベートチームのT3車両とメーカーのT2車両がトップカテゴリーで競うことになったのである。三菱自動車はこの新たな挑戦に際して新開発のパジェロ・T2仕様を投入した。2代目のパジェロ・ショートをベースにシャシーとフレームを結合し、ロールケージによって高いボディ剛性を確保。フロントサスペンションはプロトタイプで培ってきたダブルウィッシュボーンの独立懸架式、リヤは形式変更が認められないため改良を加えたリジット式とするなど、制約の中でこれまで蓄積した技術を随所に活かした。市販車と同じ3.5Lの6G74型V6ガソリンエンジンも大幅な改造は許されなかったが、トルクフルであり砂丘越えでの扱いやすさが光った。三菱自動車チームは、篠塚、サビー、フォントネの3台のパジェロ・T2仕様と、増岡浩のチャレンジャー・T2仕様の4台体制で臨むこととなった。
ラリーは初日にフォントネ、サビー、篠塚の順で3位までをパジェロが独占し、増岡も6位と好調なスタートを切った。2日目には一旦シュレッサーが首位に立つが、翌日には篠塚がSSトップで逆転。6日目にも篠塚が再びSSトップを取る一方、シュレッサーは転倒を喫し、戦列を去る。篠塚はその後も3度目のSSトップタイムを叩き出し、総合首位で中間地点のアガデスを折り返した。三菱自動車チームはすでに1-2-3-4体制を築いていたが、その中で篠塚は後半戦でもリードを保ち、挑戦12年目にして日本人初の総合優勝の快挙を達成した。フォントネ、サビー、増岡がこれに続き、三菱自動車は同一メーカーによる史上初の1~4位独占。また、市販車無改造クラスでもスーザが優勝。ロッテリー、プリエトが続いて同部門の1~3位を独占し、パジェロが圧倒的な強さを発揮する結果となった。