
第18回大会は前年と同じくスペインのグラナダをスタートし、休息日をモーリタニアのズエラで設定したあと、後半戦は政情不安を理由に4年間ルート設定がなされなかったマリを通過してギニアへ至り、北上してセネガルのダカールにゴールする総走行距離7,579km、うち競技区間(SS)6,179kmで競われた。全行程は短めだがSSの比率が高く、また変化に富んだコースが特徴である。93年大会から再び増加傾向にあった参加台数は総勢295台を数え、このうち完走したのは約4割だった。

三菱自動車は前回大会の経験から高速安定性と旋回性の高いレベルでの両立を狙ってホイールベースを短縮し、50kgの軽量化を図った96年モデルのパジェロ・プロトタイプを開発した。エンジンは同大会より34mmのリストリクター装着が義務つけられたためレスポンス向上策を盛り込む一方で、最高出力は若干ダウンして300PSとなっている。なお、前回大会終了後、主催者は翌97年大会からの自動車メーカーのワークスチームによるプロトタイプでの出場禁止とガソリンエンジンの過給機を禁止することを決定していた。これにより、1985年以来続いてきたパジェロ・プロトタイプの歴史も96年モデルを最後に、幕を閉じることになった。この年の三菱自動車チームは、篠塚、サビー、フォントネがパジェロ・プロトタイプをドライブし、増岡がパジェロと共通シャシーを持つRVR・プロトタイプで参戦する体制とした。
今大会限りで撤退を表明しているシトロエンとのプロトタイプ対決の最終ラウンドは、パジェロ・プロトタイプで有終の美を飾るべく熟成を図って臨んだが、無念にもアクシデントが続発する。グラナダ市内のサッカースタジアムの特設コースにおけるプロローグランでトップタイムをマークした篠塚は、アフリカステージでの高速走行中に溝にはまってサスペンションを大破。アシスタント部隊を待ち、修復後に再出走するも大幅に後退してしまう。その後、サビーも4回転の大転倒を喫して後退を余儀なくされる。前半戦を終わって総合3位につけるRVRの増岡は、後半戦に入っても順位をキープするが、ゴールまであと4日となるSSでコースに現れた現地トラックを避けてコースアウトした際にフロント部を破損して5位に後退。さらにゴール先日のSSでは草の陰に隠れた切り株にヒットしてサスペンションを破損して6位に後退した。フォントネは最後まで大きなトラブルなくコンスタントに上位タイムで走り切り総合3位。増岡は6位、サビーは7位、篠塚は17位となり、シトロエンを逆転することは叶わなかった。一方、市販車無改造クラスでは、パジェロで出場したジャン・ピエール・ストゥルゴ(フランス)、ミゲル・プリエト(スペイン)、カルロス・スーザ(ポルトガル)が総合順位でも10~12位でクラス1~3位を独占。市販車改造クラスでもタンベイが総合13位でクラス2位に入賞するなど、素性の良さをアピールした。