
第16回大会はダカールを中間折り返し地点としてパリにゴールするユニークな「パリ~ダカール~パリ」として開催した。パリからグラナダを経由してモロッコに渡り、モーリタニアの海岸線側を南下してダカールに到着する。休息日のあとの後半戦は、パリに向かって北上。再びモーリタニア、モロッコ、スペインを経由してパリ郊外のユーロディズニーへゴールする総走行距離11,813km、うち競技区間(SS)4,714kmで競われた。

三菱自動車チームは第16回大会に向け、高い空力性能を備えた岡崎プロト3号車をベースとする94年モデルを開発した。同車は93年モデルに対してホイールベースは同寸ながら、さらにトレッドを拡大するとともにサスペンションストロークも増大。ボディは風洞実験により空気抵抗を大幅に低減させた。エンジンはピストンの改良、燃焼室や吸気ポートの形状見直しなどに伴い過給圧を高めて最高出力320PSから350PSへ、最大トルク45kg-mから51kg-mへと大幅に向上させている。このパジェロ・プロトタイプの94年モデルを篠塚とサビーが、93年モデルをウェーバーとフォントネが走らせる体制とした。また、増岡とポンサワンが引き続きT2仕様のパジェロ・ショートで出場した。
アフリカ上陸後に本格的な競技がスタートすると、パジェロを駆るサビーはいきなり路側の穴に落ちて大きく後退。前半戦はシトロエンのラルティーグを篠塚とウェーバーのパジェロが追う展開となり、篠塚は2位で折り返し地点のダカールに到着する。しかし、後半戦に入ってモーリタニアのアタールからヌアディブへいたる、「死の砂丘」と命名された680kmのSSでハプニングが起こった。
難易度があまりに高い砂丘に全ての競技車がスタック。主催者は二輪部門の競技を全面キャンセルし、246km地点の第5チェックポイント(CP)で四輪部門もストップと決定したが、既に通過していた四輪のトップグループは376km地点の第8CPまでは走らせることとした。しかし、シトロエンの2台はペナルティ覚悟で第8CPに向かわずに迂回するなど、各車は走行を中断する。結局、サビーとフォントネの2台だけが実に200回以上のスタックを繰り返しながら、30時間に及ぶ死闘を繰り広げて第8CPにたどり着いた。しかし、主催者は後続車が走行出来ないという理由から第5~8チェックポイントまでのSSをキャンセルし、第5CP未到達の車両に一律のペナルティタイムを加算。三菱自動車チームはこの決定を不服として抗議したが受け入れられず。また、クルーの疲労度から安全面を勘案して、ウーリッヒ・ブレーマー監督はプロトタイプチームの撤退を決定した。一方、競技を続行した増岡は総合4位で市販車改造クラス優勝。市販車無改造クラスでもボブ・テン・ハーケル(ドイツ)が優勝し、パジェロは2部門を制する結果となった。ラリーから撤退したものの、三菱自動車チームは特別賞を受賞し、サビーとフォントネのファイティングスピリット、チームの勇気ある撤退は各国のメディアから絶賛された。