
第9回大会は、ベルサイユをスタートしてバルセロナから地中海を渡り、アルジェからアフリカに上陸。以降は前回大会に近いルートを辿る総走行距離12,266km、うち競技区間(SS)8,316kmで競われた。
ダカールラリーは不運な事故により創始者を失ったが、歯科医を営んでいたティエリーの父であるジルベール・サビーヌが主催者であるTSOの代表に就任してラリーは続行された。さらにプジョーがワークス参戦を果たし、新たな時代を迎えることとなる。1986年に世界ラリー選手権(WRC)でチャンピオンを獲得したプジョーは、翌年のグループB規定廃止を機に活動の場をダカールラリーへと移し、WRCのスピードをそのまま砂漠に持ち込んだ。ドライバーには、元WRC王者のアリ・バタネン(フィンランド)らを起用。マラソンラリーをスプリントラリーの連続と捉え、総勢約30人のメカニックと膨大なスペアパーツで、毎晩、新車のようにリフレッシュしながら長期戦を戦ったのである。このプジョーワークスの物量作戦に対し、三菱自動車チームはパジェロの信頼性で対抗した。

三菱自動車チームは第9回大会に87年モデルのパジェロ・プロトタイプを投入。4G54型エンジンを改良し、最高出力250PS、最大トルク35kg-mとパワーアップし、これに合わせて強化したトランスミッションを採用した。これをドライブするのはコーワン、ダ・シルバ(フランス)、そしてリガルの3名。サポート体制についてもプジョーワークスに比肩する強力な布陣として臨んだ。また、3年目の挑戦を迎えたチーム三菱シチズン夏木は、夏木陽介がチーム監督に専念し、総合優勝を狙うべく市販車無改造クラスからプロトタイプへステップアップ。86年モデルのパジェロ・プロトタイプを篠塚と初出場の増岡浩がドライブし、ジャン・ピエール・フォントネ(フランス)が市販車改造クラスのパジェロ・ロングでアシストする体制とした。
序盤はプジョーのシェカー・メッタ(インド)がリードするも、出遅れていた僚友バタネンが前半戦を終えるまでにトップに立つ。パジェロのコーワンは思うようにペースが上がらず、ダ・シルバは車両火災で戦列を去ってしまう。リガルは2日間連続でSSトップタイムと気を吐くものの転倒を喫する。唯一生き残ったコーワンは、トラブルを克服しながら総合8位でゴール。一方、篠塚は初めてのプロトタイプを駆って大健闘。アガデスでの休息日までにプジョーのバタネン、レンジローバーのザニロリに続く3番手につけると、後半戦も日本人初のSSトップタイムを記録するなど速さを見せつけ、見事、日本人初の総合3位を獲得した。初出場の増岡も終盤の2ヶ所のSSでトップタイムを獲り、総合29位で完走した結果、チーム三菱シチズン夏木はベスト・チーム賞を受賞。さらに、オランダから出場したタイスターマン夫妻が総合12位で市販車改造クラス優勝を果たすなど、パジェロユーザーはこの年も活躍を見せた。