
第5回大会では初めてテネレ砂漠がコースに設定された。ニジェール東部のディルクーから西部のアガデスまで約700kmに渡って広がるテネレ砂漠は、穏やかな起伏の砂丘が延々と続く砂の海。過酷だが美しいテネレ砂漠の横断ルートは、やがてダカールラリーの象徴的イメージの一つとなる。ルートはパリのコンコルド広場をスタートし、アルジェリア南東部のジャネットからニジェールに入り、テネレ砂漠を横断する。そのままブルキナファソ、コートジボワールまで下り、その後は北上してマリからモーリタニアへ抜け、最後は南下してセネガルに至るコースで、総走行距離9,257km、うち競技区間(SS)は4,047kmである。ダカール到着までの間、途中の休息日がない過酷な設定となった。実際には砂嵐により3つのSSがキャンセルされたが、完走率は僅か32%とその過酷さを物語っている。

第5回大会は、三菱自動車が冒険の扉を開いた記念すべき年となった。戦後にジープのライセンス生産を手がけてきた三菱自動車は、グローバルでの新たなニーズに応えるオリジナルのクロスカントリー4WDの投入を検討していた。1982年、オフロードでの卓越した走破性と、オンロードでの優れた操縦性と快適性を備えた新しいコンセプトのクロスカントリー4WDであるパジェロを日本で発売。やがて世界的な大ヒット作となるが、パジェロの名を世界に広める施策の一つとして仕掛けたのが、ダカールラリーへの参戦であった。
初挑戦となるダカールラリーには、改造範囲が限定される市販車無改造クラスで参戦することとし、4台のパジェロを送り込んだ。ベース車は2.6Lの4G54型ガソリンエンジンを搭載したキャンバストップのパジェロで、京都製作所(京都府京都市)のエンジン研究部門でエンジンのポート研磨やバランス取り、排気系の変更、強化クラッチの採用といったファインチューニングを施し、クロスメンバーなどエンジンルーム回りを強化した車両にエンジンを搭載してフランスへ輸送。三菱自動車のフランスでの輸入代理店であるソノート社が契約するレーシングガレージのソシエテ・ベルナール・マングレー(SBM)において、ボディの補強や足回りの改造、ロールゲージなどの安全装備の取り付けを行い、ラリー車として仕上げられた。
この大会でデビューを飾ったパジェロは、世界ラリー選手権(WRC)などでも活躍したアンドリュー・コーワン(英国)のドライブで、市販車無改造クラスで優勝を果たすとともに、総合でも11位と大健闘。同時に、ミッションなど主要部品を無交換で走りきるマラソンクラスでも優勝を飾った。チームメイトのジョルジュ・ドビュッシー(フランス)も総合14位のクラス2位で続き、パジェロは同クラスの1-2フィニッシュを達成。三菱自動車チームはベスト・チーム賞にも輝くなど、ダカールラリー初参戦で大きなインパクトを示した。なお、総合優勝はイクスの駆るメルセデスベンツ280GEであった。