PART1 三菱自動車はなぜラリー競技に挑戦したのか

安全で楽しく!モータースポーツで究極まで磨かれたクルマの基本性能

ラリーアートビジネス推進室
大谷 洋二
当時モータースポーツ活動のプロモーションを主に担当。

1973年、三菱自動車は発売されたばかりの初代『ランサー』1600GSRでサザンクロスラリーに出場。1位から4位までを独占するという、その運動性能の高さを示しました。世界を驚かせた“三菱ランサー“の快進撃が幕を開けたのです。
三菱自動車本社には、レース前にメディアに配布されたプレスリリースが残されていました。A4で6ページある印刷物には「(サザンクロスラリーは)高速操安性と耐久性を重点とした過酷なハイスピードラリーであるため、出場車には性能と耐久性の高度なバランスが要求される」、「世界の強豪が覇を競う舞台で当社の技術的真価を問うとともに、このラリー出場を通して『ランサー』ラリー車の高速での操縦安定性、耐久性の極致を追求し、その技術的成果をすべての三菱車に活かすことを目的としている」と書かれています。
ラリーアートビジネス推進室の大谷洋二はそのリリースを見ながら「なぜ当社がラリーに出場したのか、その原点がここにありますね」と話しました。

1973年『ランサー』1600GSR

「当社が初めて国際的なモータースポーツに参戦したのも1967年に開催されたサザンクロスラリーです。モータースポーツの中でも、ターマック(舗装路)、グラベル(未舗装路)、スノーなど、さまざまな路面状況で競われるラリー競技にこだわってきました。」
当社が大切にしてきたのが、一般のドライバーでも安心して楽しく運転できるクルマづくり。過酷な環境で走るラリー競技は、“走る”“曲がる”“止まる”という、クルマが本来持つ基本性能を高める絶好の機会です。また、当社は市販車をベースにしたカテゴリーに出場することにもこだわりました。
「レースで勝ったとしてもそれが市販車の開発に活かされないのであれば意味がありません。目的はあくまでもお客様に提供するクルマの性能を高めること。過酷な状況で走るラリーにチャレンジすることにより、そこで得た技術やノウハウを次の市販車に活かしていく。そして市場で得たフィードバックを今度はラリー車へと反映させる。そうした循環が三菱自動車らしいクルマづくりの土台となりました。」
愛知県にある当社の研究開発拠点である技術センターでは市販車両と競技車両の開発が行われ、それぞれのチームは常に情報を共有していました。また、同所にはテストコースが整備されていて、未舗装のクロスカントリー路も備えています。試作してはテストをして性能を確認し、改善していくというサイクルが毎日のように行われています。
「どんな環境においてもお客様が安心・安全に目的地にたどり着ける。そして無事にわが家に帰ってくることができる。そんな信頼できるクルマを、私たちは常に追い求めてきました。複数のクルマを持っている人がいたとします。外は雪や防雨風などで非常に不安定であっても、大切な人を迎えに行かなければいけない。そんなときに選ぶのが三菱車の鍵であってほしい。」
1973年には世界最高峰のスプリント・ラリー、世界ラリー選手権(以下:WRC)がスタート。当社は『ギャラン』を始め、『ランサー』、『スタリオン』などの車両で参戦し、1993年、ラリー競技で培った技術の粋を集めて開発された『ランサーエボリューション』を投入。1996年から4年連続でドライバーズチャンピオンを獲得しました。磨き上げた四輪駆動技術はS-AWC(Super All Wheel Control)へと結実。四輪の駆動力・制動力を最適に制御することで、優れた操縦性と高い走行安定性を実現しました。その技術は脈々と受け継がれ、今では当社の代表車種である『エクリプス クロス』や『アウトランダー』にも搭載されています。

1998年『ランサーエボリューションⅤ』

ダカール・ラリーはSUV開発の最前線

広報部
増岡 浩
パリダカで日本人初の総合優勝2連覇を果たしたラリードライバー

WRCと並び、世界の人に三菱自動車の名前を刻んだラリー競技がダカール・ラリーです。WRCは、一般車両が走る路面でいかに早く走れるかを競うスプリント・ラリーなのに対し、ダカール・ラリーは走る道もないような大自然を走行するクロスカントリー・ラリー。当初はフランスのパリを出発してセネガルのダカールをゴールとしていたためパリ-ダカール・ラリー(通称パリダカ)と呼ばれていました。砂漠を走るのが印象的なシーンとして知られていますが、コースは山岳地帯や密林地帯などもあり、世界で最も過酷なモータースポーツ競技とも言われています。1983年に初参戦でクラス優勝した当社は、85年にはワークス・チームが総合1位と2位を独占。その後も26回参戦して前人未踏の7連覇を含む通算12勝の総合優勝を挙げています。
「ダカール・ラリーは砂漠あり、ダートあり、という過酷なオフロード走行が2~3週間も続きます。クルマは頑丈であることはもちろんのこと、乗り心地も良くないといけないし、ドライバーは一つのミスも許されません。私も谷底みたいなところで動けなくなり、脱出に何時間もかかったことがありました。」

2002年『パジェロ』(スーパープロダクション仕様)

そう話すのは日本人ドライバーとして初のダカール・ラリー2連覇を達成した増岡浩。現在は当社の開発部門で後進のテストドライバーを育成しています。増岡は最初に『パジェロ』に乗ったとき、「なんて運転しやすいクルマなんだ」と衝撃を受けたと言います。
「当時の四輪駆動車はどんな悪路でも走れるものの乗り心地は悪く、高速道路ではまっすぐ走れないというイメージがありました。でも『パジェロ』は悪路での走行性能が高いだけでなく、ロングドライブでも乗り心地が良くて疲れない。ダカール・ラリーではフラットな道を時速200キロぐらいで走ることもあれば、山越えもある。さらに、胸ぐらいまでの深さの川を渡り、砂丘を越えるなど、あらゆる路面に対応しなければなりませんが、『パジェロ』はそうした性能を満たしていました。」
走行性能の高さに魅せられて、市販の『パジェロ』を自分用にすぐに購入したと増岡は笑います。レジャーブームに沸いた80年代の日本。マイカーでスキーなどのアウトドアスポーツを楽しむ人が増える中、雪の積もったワインディングロードでも快適に、そして安全に走ることのできる『パジェロ』はSUV市場で確かな存在感を示していきます。その開発の最前線になったのがダカール・ラリーでした。
「市販している『パジェロ』を改造して参戦していたので、ワークス・チーム*1と市販車の開発チームが非常に近いところにありました。私はお客様の代表として、ラリーで走行して気が付いたことをワークス・チームはもちろんのこと、市販車の開発チームにも伝えましたし、彼らも必死になって応えてくれました。」
1991年に販売開始した2代目『パジェロ』では世界初となるスーパーセレクト4WDを採用。1999年に販売開始した3代目『パジェロ』でモノコックボディに4輪独立懸架を採用するなど、SUVの技術向上をリードし、SUV市場を牽引していきました。

2代目『パジェロ』

3代目『パジェロ』

ラリーを愛するすべての人をサポートしたラリーアート*2が復活

WRCやダカール・ラリーで三菱自動車のモータースポーツ活動を支えてきたのがラリーアートです。当社のワークス・チームとしてラリー競技に参加すると同時に、ワークス・チーム以外でレースに参加するプライベーターへの技術支援も行っていました。
当時、市販車をベースに競技用車両のスペックを設計・開発するのは岡崎製作所。ラリーアートの現地チーム、WRCであればイギリス、ダカール・ラリーであればフランスのチームがラリーカーを組み立て、当社のワークス・チームとしてラリーを戦っていました。また、トップカテゴリーでの戦いに魅了され、自分もレースに出てみようというモータースポーツファンをサポートするのもラリーアートの重要な役割。競技用パーツを開発・販売することで技術的な支援を行いました。さらにラリーアートブランドのグッズも販売。ワークス・チームの戦績と比例するようにラリーアートブランドの知名度は高まっていきました。
当社がラリー競技への参加を中止した2010年以降、ラリーアートは活動を休止していましたが、2021年、ラリーアートブランドが復活。走りの技術を鍛え上げてきたヘリテージブランドとして、『アウトランダー』、『エクリプス クロス』、『RVR』、『デリカD:5』用のアクセサリーの販売が国内で開始されることになりました。

ラリーアートアクセサリー装着車
(左から『RVR』『エクリプス クロス』『アウトランダー』『デリカD:5』、一部純正アクセサリーも装着)

(Part2へ続く)

*1:メーカーが自己資金でチームを組織しレース参戦する場合のチームのこと。

*2:WRCやダカール・ラリーという厳しいフィールドで、その走りを、その技術を鍛えてきた三菱自動車のヘリテージブランド。