「eK」の歴史はお客様と真面目に向かい合うところから始まった

三菱自動車のクルマづくりは、「お客様の声に徹底的に耳を傾け、できるだけ快適に安全に乗ってもらう術を考える」と同時に、「未知なるイノベーションにチャレンジしながら、エンジニアとしてクルマの性能を追求することにこだわる」、この二つを両立させることだと当社は考えます。今回のMitsubishi Motors Storiesでは、この2つを両立させた軽自動車「eK」シリーズの歴史を紐解いていきます。

初代『eK ワゴン』:「ちょうどいい軽」を生み出すために全国を駆け巡る

プロジェクト計画部
兼PD室
河村 信介
初代『eKワゴン』の開発を担当したエンジニア。

三菱自動車がはじめて軽自動車規格の乗用車『ミニカ』を発売したのが1962年。当時、室内空間を広くとれることから、多くの軽自動車がFF(フロントエンジン・前輪駆動)かRR(リアエンジン・後輪駆動)を採用する中、『ミニカ』はFR(フロントエンジン・後輪駆動)を採用。駆動と操舵を別のタイヤで受け持つため、旋回性や前後の重量配分に優れるなど、高い運動性能を実現しました。以来、1998年に発売された8代目まで、『ミニカ』は軽自動車市場で大きな存在感を示し、軽乗用車として最も長命な8代45年にわたる歴史を誇りました。特に好評を博したのが1990年に発売された『ミニカ トッポ』。標準車両の全高1510mmよりも全高が70 mmも高いスーパーハイルーフは、近年人気の高い「軽スーパーハイトワゴン」の先駆けとなり、1998年に軽自動車の規格変更(全長3300mm→3400mm、全幅1400mm→1480mm)に合わせて発売された『トッポBJ』へと引き継がれていきます。

初代ミニカ

トッポBJ

『ミニカ トッポ』の強みを引き継いで投入した『トッポBJ』ですが、手強い競合車たちがひしめく市場環境により販売台数は計画を下回って推移したため、競争力のある軽自動車をなるべく短期間で、かつ開発費を抑えて追加投入することが大きな命題となりました。そして当時、その開発のメイン担当として開発主任に指名されたのが河村信介でした。
「開発チーム全体が『新しい軽自動車を造るんだ』という思いをもって開発をスタートしました。みんなで意識していたのは、“お客様が軽自動車に求めるものに徹底的に応える”、ということ。全国の主要都市でインタビュー会を開催してお客様の意見を聞き、どうしたら売れるのかを必死に考えました。」(河村)
軽自動車に乗っているお客様に集まってもらい、話を聞き続ける毎日。軽自動車に乗るお客様は女性や高齢者が当時から多かったのですが、当時の開発者は男性が多く、ユーザーが実際にクルマに求めるもの、特に女性や高齢者のニーズについて想像がつかず、実態をしっかりとは把握できていない状況でした。それを解決するには、生の声を聞くしか方法がなかったのです。デザインに関しても、お客様を魅了するスタイリングにすべく、デザイナーがスケッチを描くと、河村はすぐにそれを持って東京や九州など軽自動車の主要市場を訪れ、どれがいいかを聞いて回りました。
「毎日軽自動車に乗っている女性たちは、ノーズがしっかりとあり、ホイールベースも長くて安心感のある、四角い形状の車内が広いデザインを選ぶ傾向があるということが分かりました。また、当時、軽自動車でも広い室内スペースを求めるお客様が増える一方で、全高1600mmを超えるスーパーハイトワゴンは『都心部の立体駐車場が使用できなくて困る』という不満もあることがわかりました。そこで、開発するクルマは全高を『ミニカ』よりも高く、立体駐車場にも入る1550mmに設定しました。」(河村)
開発チームは販売価格にもこだわり、スタート時点から税金や諸経費を含めてもキリのよい100万円以下に収まる範囲にすると決めていました。

初代eKワゴン

「価格の上限を決めて、できることが限られてしまう中で、何を優先するかという取捨選択が必要でしたが、その判断はお客様にとってメリットがあるか否かを基準にしました。例えば、当時は4A/Tの新車が増えている時代でしたが、短距離の移動で使用する使い方がほとんどで、常用する速度域も低めの軽自動車においては、変速頻度の少ない3A/Tのメリットもまだまだ残っていると考え、軽くてコストも安い3A/Tを選択しました。(河村)
ネーミングの「eK」は「excellent K-car」の頭文字であると同時に、「いい軽」を造るために発足した開発部門のプロジェクト名称である 「eK プロジェクト」から命名。利用者にとっての「いい」をとことん追求した成果そのものがネーミングとなりました。
「ただ、私たち開発スタッフからすると、販売価格100万円のコンセプト実現のために採用できなかったところがいくつかありました。そうした「もっと良くしたい」という思いを実現するためにも、クルマのライフサイクルの中で標準車とコンセプトの異なるバリエーションを追加し、いろいろなお客様のニーズに対応していく、という考え方は当初から持っていました。」
2002年にスポーティーな外観に仕立てた『eKスポーツ』、2003年にはクラシックなスタイリングで上質感を持たせた『eKクラッシィ』、2004年にはSUVテイストの『eK アクティブ』が追加されました。これらの多様な個性を伴った派生モデルは多くのお客様に愛されていきました。

eKスポーツ

eKクラッシィ

eK アクティブ

2代目:新たなイノベーションもお客様のために

プロジェクト開発マネジメント部
木村 篤史
2代目『eKワゴン』の開発を担当。

初代『eKワゴン』は派生モデルの開発が次々と行われていたため、発売後も開発メンバーは忙しい日々が続きました。そのため2代目『eKワゴン』の開発は初代と同時進行。選ばれたメンバーは初代の開発工程を知らない、新しいメンバーも多くいました。そのメンバーの一人である木村篤史は「多くのお客様に受け入れられた初代を引き継いで2代目を開発する難しさに直面しました。まずは初代の成り立ちを勉強しようと、仕事中に何度も河村さんに話を聞きにいったのを覚えています」と当時を振り返ります。
好評を博した初代のどこを残し、どこを進化させるか。それをとことん突き詰めようと、チームは議論を重ねていきました。その中でもこだわったのは、やはりお客様のニーズであり、実際の使い方です。
「初代もそうだったように、進化した技術を搭載したとしてもお客様が必要のないものであれば意味がない。スタイリングにしても、実際に軽自動車を使っているお客様が納得するものにしたかったんです。」(木村)
特に課題となったのが全高の設定です。1600mmのトールタイプといわれるモデルが主流になっていく中、セミトールといわれる1550mmの全高をキープする必要があるのか、何度も検討しました。
「議論を尽くした結果、セミトールを維持するという決断をしました。セミトールこそが『eKワゴン』のコンセプトであり、それを待っているお客様が多かったからです。」(木村)
コンセプトは、お客様が求めるものに応えたいという思いを込めた「便利、安心、気持ちいい」。それを具現化したのが、ボンネット型軽自動車で初めて採用した電動スライドドアであり、LEDタイプのリアコンビランプでした。
2代目開発チームの苦労を同じ部屋で見続けた河村は「『実際に購入して使ってくださるお客様によりよいものを提供できるように』という強い思いで開発に取組んでいるなぁ、と感じられました」と話します。「すでにクルマのイメージが付いている初代に対して、新しさを織り込んでいかなくてはいけない一方で、ビジネス上の制約として初代と共用できる部分を増やすように、という指示も出ていて、どこに進化のポイントを絞るのか、というところで苦労していました。それでも彼らは常にお客様の声を聞きながら一つ一つ答えを見出そうとしていました。実はあの全高でスライドドアを実現するのは、技術的にかなり難しいと考えられていました。それを実現できたのも、お客様の使い方から研究した木村さんたちのチームの熱い思いがあったからです」(河村)
「最新技術にしてもお客様が使いやすく、便利なことが重要で、開発エンジニア全員がそれをしっかりと理解した上で、制約の多い軽自動車に盛り込む方法を徹底的に考え、商品化しました。私たちとしてはやれる限りのことはやったという自負はあります。」(木村)
2代目が発売された2006年頃は軽自動車市場の過渡期。2010年代になると全高1600mmを超えるモデルの売上が急増し、スタンダードモデルとなっていく中、販売的には苦戦を強いられました。

お客様にとって何がいいのかを常に考えながら、イノベーションにチャレンジし、クルマの性能を追求することにとことんこだわるというのが三菱自動車のクルマづくりのDNA。このスピリットは3代目以降の「eK」シリーズに脈々と受け継がれていきます。

2代目eKワゴン