WRC
- 世界ラリー選手権 1996

WRC
世界ラリー選手権 1996

1996年 世界ラリー選手権

1990年代の半ばは世界ラリー選手権 WRC が大きく変革しようとしていた時期だった 。 95 年になると 4 WD ターボの ベース 市販 車を生産していなくとも 、 競技車両専用に 4 WD ターボ 化が認められる 新しい車両規定が検討され始め 、 同年9月には新規定車両の名をワールドラリーカーWR カー とすることが公表され 、 翌 10 月には 97 年からの導入が決定した 。 技術的な話題とともに 、 評判が芳しくなかった開催ラリーのローテーション制も 1996 年限りで廃止し 、 97 年からは 14 戦までシリーズ規模が拡大されることになり 、 さらには 1996 年からスリックタイヤの使用が禁止となった 。
Rd. name Country
1 Swedish Rally スウェーデン
2 Safari Rally ケニア
3 Rally Indonesia インドネシア
4 Acropolis Rally ギリシャ
5 Rally Argentina アルゼンチン
6 1000 Lakes Rally フィンランド
7 Rally Australia オーストラリア
8 Rallye Sanremo イタリア
9 Rally Catalunya スペイン
こうしたなか、三菱自動車は、トミー・マキネンを軸に初めてのWRCシリーズ全戦出場を決断した。チームメイトには新たにリチャード・バーンズ(英国)を獲得。マキネンがWRC、バーンズがアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)のタイトルをそれぞれ狙うという両面展開を敢行した。全9戦が組まれたWRCはスウェディッシュラリーで開幕し、いきなりマキネンの優勝でスタートする。続くサファリラリーは三菱自動車としては経験豊富だが、ラリーアート・ヨーロッパ運営のワークスチームにとっては初参加。総走行距離約2,400km、タイムが争われる区間の総距離は当時のヨーロッパラウンドの3倍の約1,500kmの悪路が控えていた。そこで三菱自動車チームは、主立った部品をサービスごとに交換してトラブルを未然に防ぐという戦法に討って出る。これが功を奏し、スプリントラリーなみの全開アタックを続けた末にマキネンはサファリ初出場で優勝を飾った。
勢いに乗ったマキネンは、第4戦アクロポリスラリー(ギリシア)で2位に入ると、続く第5戦アルゼンチンラリー、第6戦1000湖ラリー(フィンランド)と2連勝。そして第7戦オーストラリアラリーにおいても完璧な戦いを見せて3連勝をマーク。初のWRCドライバーズチャンピオンを決めた。1967年のサザンクロスラリーに977ccのコルト1000Fで乗り出してからちょうど30年目、そしてサファリを制したランサー1600GSRで1975年のRACラリーに挑み、「いつかヨーロッパのラリーを制して、世界も制する」と誓ってから20年以上が経ったこの年、三菱自動車はついにその悲願を達成したのである。
一方、APRCにフル参戦したバーンズは、W2Lタイトルもかけられたニュージーランドラリーで、世界レベルの大会での初優勝を達成。ドライバーズタイトルは逃したものの、マニュファクチャラーズタイトルは三菱自動車が連覇した。また、グループNカップはランサーエボリューションユーザーであるグスタボ・トレレス(ウルグアイ)が獲得。同年からAPRCに設けられたグループNカップでも、日本のタスカ・エンジニアリング製作のランサーエボリューションを駆った片岡良宏が初代タイトルを獲得している。

リザルト

Rd. 1 2 3 4 5 6 7 8 9
T. マキネン 1st 1st R 2nd 1st 1st 1st R 5th
S. ハルヤンネ
R. バーンズ R 4th 5th R
R. レイド
D. オリオール 8th
D. ジローデ
篠塚建次郎 6th
P. クッカラ
Driver Co-driver R - Retired D - Disqualified
Rd. 1 2 3 4
T. マキネン 1st 1st R 2nd
S. ハルヤンネ
R. バーンズ R
R. レイド
D. オリオール
D. ジローデ
篠塚建次郎 6th
P. クッカラ
5 6 7 8 9
1st 1st 1st R 5th
4th 5th R
8th


Driver

Co-driver

R - Retired

D - Disqualified

スペック

ランサー エボリューション Ⅲ

全長 4,310 mm
全幅 1,695 mm
エンジン 4G63 4気筒 DOHC ターボ
エンジン排気量 1,997 cc
最高出力 270 ps
最大トルク 45.0 kg-m