WRC
- 世界ラリー選手権 1988-1992

WRC
世界ラリー選手権 1988-1992

1988-1992年 世界ラリー選手権

三菱自動車は1987年10月に6代目となる新型ギャランを発売。その高性能モデルであるギャランVR-4は2.0LのDOHCターボエンジンにフルタイム4WDシステム、4WS(4輪操舵)を備え、大いなる話題を呼んだ。このギャランVR-4に搭載された4G63型エンジンは、制約の多いグループA規定下でもデビュー当初から300馬力を超えるパワーを発揮した。三菱自動車は、世界ラリー選手権(WRC)のヨーロッパラウンドを戦うワークスチームと、篠塚建次郎を擁して日本のタスカ・エンジニアリングの運営でアジア・パシフィック選手権(APRC)を中心に戦うセミワークスチームの2系統を組織し、88年には三菱自動車として5年ぶりのWRCに挑んだ。
ギャランVR-4のWRCデビューは88年7月のニュージーランド。セミワークス体制で出場した篠塚建次郎の手によって果たされた。篠塚はその後マレーシア、オーストラリアと入賞を重ね、APRC最終戦のヒマラヤンラリーでは前年に続いて優勝を果たしてAPRCの初代チャンピオンを獲得している。一方、WRCワークスチームであるラリーアート・ヨーロッパは、同年11月にイギリスで開催されたWRC最終戦RACに出場。リタイアに終わったが、2カ所のスペシャルステージでトップタイムを刻み、ギャランVR-4のポテンシャルを存分に示した。

続く89年、三菱自動車はエースとしてアリ・バタネンを据え、2台目には逐次適したドライバーを起用する体制を敷いた。この年、3戦目の出場となった1000湖ラリー(フィンランド)ではミカエル・エリクソンが総合優勝。さらにRACラリーではペンティ・アイリッカラが総合優勝、バタネンも5位でフィニッシュし、この年は復帰早々の段階ながら4戦中2勝という大成功と言っていい結果を残した。エンジン吸気量の制限が設けられた90年シーズン、中盤の1000湖ラリーでは新たに競技用のビスカスカップリングをセンターディファレンシャルに採用した。これらの改良が奏功し、マニュファクチャラーズ選手権で初めて3位を獲得している。続く91年、6月からはマイナーチェンジした市販モデルをベースとするグループAギャランのエボリューションモデルを投入し、2年連続でマニュファクチャラーズ選手権3位となった。なお、10月のコートジボワールラリーでは、篠塚が日本人ドライバーによるWRC初優勝を達成している。
三菱自動車チームでは、91年に発表されたランサーエボリューションのグループA仕様を93年の開幕戦モンテカルロでデビューさせる計画が進んでおり、そのためギャランVR-4の大掛かりな開発は基本的にストップ、92年の出場ラリー数も6戦に減らすこととなった。ただしギャランVR-4の細かい改良は毎戦行い、車重1200kgを切った軽量版を投入するなどした。ヨーロッパではティモ・サロネンによる5位が最上位だったが、10月に開催されたアイボリーコーストラリーでは篠塚が2年連続・2度目のWRC総合優勝を飾り、ギャランVR-4のWRC通算6勝目を挙げている。ギャランVR-4の最後のWRC参戦となった最終戦RACでは、翌1993年開幕戦でデビューさせるグループAランサーエボリューションに装備する新4WDシステムを投入、先行実戦テストを目的とした参戦を行っている。

リザルト

1989年 1000湖ラリー 総合優勝 ギャラン VR-4 M.エリクソン
1989年 RACラリー 総合優勝 ギャラン VR-4 P.アイリッカラ
1990年 アイボリーコースト ラリー 総合優勝 ギャラン VR-4 P.トジャック
1991年 スウェディッシュ ラリー 総合優勝 ギャラン VR-4 K.エリクソン
1991年 アイボリーコースト ラリー 総合優勝 ギャラン VR-4 篠塚建次郎
1992年 アイボリーコースト ラリー 総合優勝 ギャラン VR-4 篠塚建次郎

スペック

ギャラン VR-4

全長 4,560 mm
全幅 1,695 mm
エンジン 4G63 4気筒 DOHC ターボ
エンジン排気量 1,997 cc
最高出力 290 ps
最大トルク 34 kg-m