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RALLI ART

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増岡浩のパリダカ参戦への軌跡を知られざるエピソードとともに振り返る
【No.3】 2002年〜2006年 パリダカ連覇 そしてプロのラリー・ドライバーへ

【No.1 1985〜1988】 【No.2 1999〜2001】 【No.3 2002〜2006】

 2002年は、私にとって生涯忘れることのできない年になりました。長年の目標であったパリダカで優勝をすることができたのです。15年間抱き続けてきた夢がついに叶った。ゴールのダカールでポディウムに上った時は、涙が出て止まりませんでした。フランスでの辛かった修業の日々や、私をしっかりと支えてくれた家族の顔が頭に浮かんできて涙があふれ出てきました。そして、自分ひとりの力ではなく、多くの人々に支えられてここまでこれたのだと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
2002年パリダカ
悲願の初優勝 ポディウムでは号泣
2003年パリダカ
プレッシャーの中、連覇を達成
 そして、翌年、2003年は新しい課題とぶつかりました。ディフェンディング・チャンピオンとしてタイトルを防衛しなければならない。絶対に負けてはいけないというプレッシャーは、想像以上に大きくのし掛かってくるものです。しかも、この年からはチームメイトとしてステファン・ペテランセルが加入した。バイクで6回パリダカ優勝を果たした彼を私はとても尊敬していますし、その才能もよく知っている。ペテランセルがかつてないほど強力なライバルとなるであろうことを私は予感しました。その予想通り2003年のパリダカは私と彼の一騎打ちになりました。彼はとても速かった。終盤は自分のミスもありだいぶリードを許しました。しかし、私は決して自分を見失わないように心がけたのです。ゴール到着の日にペテランセルがトラブルで後退しトップに立った時は、自分の考えが正しかったのだなと実感しました。パリダカはただ速いだけでは絶対に勝てない。なるべくマシンに負担をかけないように走り、なおかつ性能をキチンと引き出さなければならないからです。その見極めはとても難しい。経験によって学ぶしかないかもしれません。積み重ねてきた長年の経験が、2003年のパリダカでは生きたということでしょう。
2004パリダカ
ペテランセルと勝負を分け合った
 パリダカ2連覇を果たした私は、3連覇と通算最多勝利となる5勝という目標を立てました。口で言うのは簡単ですが、その難しさは誰よりも私が一番よく知っている。しかし、自信はありましたし、努力をする決意もできていました。そして、私は走ることに専念すべく、長年お世話になったラリーアートを離れプロドライバーとして独立する決意をしたのです。しかし、そうして臨んだ2004年パリダカの結果は2位。優勝はチームメイトのペテランセルで、3連覇の夢は消え去りました。敗因はただ1度のシフトミスでした。19日間にわたるラリーの中で1回だけ犯したミスが致命傷となって砂漠の中で動けなくなり大幅にタイムをロスしたのです。これ以外は完璧なラリーだっただけに正直言って悔しかったですが負けは負け。自分では結果に納得しています。
 続く2005年はモロッコでの事前テストからペテランセルとは違うサスペンションセッティングを探り、自分なりに納得してパリダカに臨みました。ところが序盤のモロッコの短いSSでパンクして遅れ、翌日の大事なステージのスタート順が悪くなってしまったのです。次の日、私は酷い埃の中を先行車をパスしながらプッシュを続けましたが、そのさなかに溝にはまってサスペンションアームを破損。2時間をロスしてしまいました。翌日からチームメイトのサポートに回った私は、中間休息日までに6番手まで順位を上げていましたが、後半戦の初日にエンジンが破損。あっけなくリタイアを余儀なくされてしまったのです。12年ぶりのリタイアはショックでしたが、メカニックが分解したエンジンの内部を見て私は驚きました。1馬力でもアップさせようと今までにない改良を施していたのです。トラブルは非常に残念ですが、ドライバーもエンジニアも極限の世界で戦っているのは一緒。それは賞賛されるべきチャレンジだと思いました。
パリダカは自分との闘い
 05年大会はペテランセルの連覇で幕を閉じました。優勝を狙っていただけにリタイアのもたらした精神的ダメージは経験したことのないものでした。でも、帰国後、全国を巡る報告会やイベントで接したファンの方々から優勝したとき以上に暖かい労いの言葉や励ましのメッセージを頂いたことで、それに応えたいという気持ちが高まってきました。
2006年パリダカ
 そうして迎えた06年大会。初のスタート地となったリスボンでラリーが始まると、私はヨーロッパステージを6位で終え、モロッコの初日で総合2位に浮上しました。気負いもあせりもなく、全く順調な滑り出しです。ところが、その翌日のSSで思いもよらぬ事態を迎えてしまいました。約100km地点の砂漠を時速140km程度で走行中、交差する舗装道路を横切った直後、私は大きな穴があるのに気付きました。しかし、次の瞬間には穴に落ちたマシンは跳ね上げられて前転。リアから着地し、さらにもう一回転して止まりました。ナビのパスカルがロードブックに記されているトリプルコーション(!!!=最も危険度の高い注意箇所)のサインを見落としてしまったのです。幸い2人に怪我はなく、その後も走行を続けてゴール。総合順位は13位まで後退しましたが、マシンが修復されれば明日からの追い上げでまだ逆転は可能とビバークに着いた私はそう考えていました。しかし、実際にはロールケージの損傷がひどく競技続行は難しい…。チームは熟慮の末に決断を下しました。ドライバーとナビが力をあわせ、正しいルートを見出しながら可能な限り速く走ってタイムを競うのがパリダカです。ですから、競技中の責任は常に2人にある。私はそう考えています。とはいえ、一瞬の出来事で勝負を失う、パリダカの厳しさを改めて深く感じたのも事実です。あまりにもあっけない幕切れ、経験したことのない2年連続のリタイアの悔しさに、私は正直なところ、しばらく気持ちの整理がつきませんでした。でも、ゴールのダカールを訪れ、チームの優勝をまのあたりにすると、自然と闘志が沸いてくるのを感じました。

 今、07年大会を前にして私は心身ともにベストな状態にあります。ライバル筆頭のフォルクスワーゲンはますます力をつけており、熾烈な戦いは必至でしょう。その中でも私はなんとしても良い結果を出し、雪辱を期するべく、自然体で意欲を漲らせているところです。
■パリダカ戦績
2002 第24回大会 三菱パジェロ スーパープロダクション 総合優勝
2003 第25回大会 三菱パジェロエボリューション スーパープロダクション 総合優勝
2004 第26回大会 三菱パジェロエボリューション スーパープロダクション 総合2位
2005 第27回大会 三菱パジェロエボリューション スーパープロダクション リタイア
2006 第28回大会 三菱パジェロエボリューション スーパープロダクション リタイア
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