増岡浩のパリダカ参戦への軌跡を知られざるエピソードとともに振り返る
【No.2】 1990〜2001 精神と肉体の鍛錬
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【No.1
1985〜1988】 【No.2 1990〜2001】 【No.3
2002〜2006】
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90年パリダカ
メカニック修行の成果を出して
見事クラスで優勝を果たす |
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パリでのメカニック修業は本当に辛いことばかりでしたが、そうした経験が考えていた以上に重要であったことを、2年ぶりに出場し、市販車改造クラス優勝を果たした90年のパリダカで私は身をもって知ることになりました。1年がかりで細部まで自分の手で組み立ててきたクルマだけに愛着があるし、トラブルで止まっても直す自信がありました。クルマのどこが弱い部分なのか、きちんと把握できていたこと。これは市販車改造クラスで戦う当時の自分にとって大きな意味をもっていたのです。
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1991年パリダカ |
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1994年パリダカ |
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1996年パリダカ |
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パリダカではワークスチームが用意するラリーカーと体制でなければ勝つことは難しい。それが厳しい現実です。しかし、ワークスのクルマはほんの数台、シートの数は、本当に限られた数しかありません。勝つことができるクルマのシートを得るためには、たとえ市販車クラスでも光る走りを見せなければ、一生このままで終わってしまう。90年に初めてクラス優勝を果たしたあとの数年は思うように結果を残すことが出来ませんでしたが、この頃は攻めるのも、そのためにクルマを知ることにも必死でした。
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2001年大会の事件が 増岡の精神面を大きく成長させた |
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そして、実力を認めてもらい、優勝を狙える車両が与えられたのは2000年のことです。この年は総合6位に終わりましたが、翌2001年はラリー中盤に総合首位に立つとそのままゴール前々日までトップを走り続けました。そして、ダカールに到着する日に心無い参加者が私の進路を妨害するという出来事が起こったのです。あの時は主催者の計時ミスも重なって2位となりました。それに対して真の勝者は私だと言われ、自分でも当時は、あの事件がなかったら私が優勝していたのでは?と考え、とても悔しい気持ちでした。2位という成績を喜ぶよりも勝てなかった後悔のほうが大きかった。しかし、その後、勝てなかったのはやはり自分の責任だと思うようになりました。もし、あの時に自分が本当に強い心を持っていたら、走路妨害にも計時ミスにも動じなかったのではないか。自分本来の走りが出来ていれば、難なく1位でゴール出来たはずです。結局、パリダカは自分との戦い。改めて精神力をもっと鍛えなければと痛感することになりました。精神力を鍛えるにはどうしたらよいか? 私はフィジカルトレーニングを強化することが大切と考えました。強い心は強靭な体から生まれる。苦しいトレーニングを続けることで、自然と精神力も鍛えられるというのが私の持論です。それまでもフィジカルトレーニングは行っていましたが、もっと自分を追い込まなければ。実際、私はトレーニングを続けることによって心身ともに大きく進歩したと思います。そして、このことは、初勝利を呼び寄せた要因の一つだと信じています。
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| →【No.3】へつづく |
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