Today's Message
■1月15日(日)
リュック・アルファン
『2006年パリダカ・チャンピオン』



G・ピカール / L・アルファン
リュック・アルファンは、生まれながらのウィナーかもしれない。柔和な微笑みと人好きのするキャラクターの裏には、どんなスポーツであれ、参加するなら成功しなければ意義はない、という熱い決意が隠されている。幼い時から、"ルーチョ"(アルファンの愛称)はウィナーになるよう宿命づけられていたのだろう。

「幼い頃は、よく父に狩りに連れて行ってもらいました」とアルファン。知らず知らずのうちにハンターとはどういう人間なのか、身につけたとしても不思議ではない。「父は僕のスキーの先生でもありました」

1965年8月、フランスのブリアソンに生まれたアルファンは、大自然を友として成長した。父親から狩猟とスキーを学んだが、国際的なスキーヤーとして活躍するのは80年代のことである。83年、セストリエールで世界ジュニア・ダウンヒル・チャンピオンに輝くと、それから11年後のヴァル・ディゼールで初のメジャータイトルを勝ち取った。

その後、国際舞台の頂点に立つことを目標に努力を重ね、その間に9度もフランス国内タイトルを獲得する。プロUSツアーで2度の優勝をマーク、世界ランキング1位にもなった。97年にアルパイン・ワールドカップを制したアルファンは、翌98年、4輪クロスカントリー・ラリーにスイッチする。

「初挑戦のパリダカは、悪夢そのものでした」とアルファン。「ゴールまであと2日というところで砂漠のど真ん中にマシンを放置したまま、ヘリコプターに連れられてフィニッシュしたのです。『こんな思いは二度とゴメンだ』と思いました。その翌年は、しっかりゴールに辿り着き、T1クラス(市販車改造部門)優勝を果たしました。ダカールのビーチに着いた時の感動は、今でも忘れられません。マシンを止めて、海に向かってダッシュして飛び込こみました」

2003年、アルファンは総合9位、プロトタイプディーゼル・クラス優勝を達成。2004年1月には、パリダカ史上初めてディーゼルマシンでSS(競技区間)ベストタイムを記録し、パリダカ史にその名をとどめながら、コ・ドライバーのアンリ・マーニュとともに総合4位で完走した。

同年夏に三菱ラリーアートチームに移籍。『三菱パジェロエボリューション』の開発熟成に携わり、2005年パリダカで初めてワークス『三菱パジェロエボリューション』のコックピットに座った。昨年は、チームメイトのステファン・ペテランセル(フランス)に次ぐ2位をマーク、最強のマシンを得て、いよいよ狙うは総合優勝だけとなった。2005パリダカから3ヶ月後、チュニジアラリーでFIAクロスカントリー・ラリー・ワールドカップ初優勝。続く10月のバハ・アンタ・ダ・セラ500(ポルトガル)でも総合優勝し、上昇気流に乗って2006パリダカに臨んだ。

2006年1月15日、ラックローズに首位で到達し、念願のダカール総合優勝を達成するとともに、「チーム・レプソル三菱ラリーアート」の6連覇に大いに貢献したのである。
■1月11日(水)
アンリ・マーニュ(ロマのコ・ドライバー)
『マラソンステージを語る』



H・マーニュ / J-P・コトレ
 ダカールラリー名物のマラソンステージ。それは、選手たちにとってモーリタニアの砂丘越えと並ぶ難関といえる。マラソンステージとは、つまり2日間のレグを自分たちの力だけで行える簡単なサービスのみで走り抜くというもの。パーツやメカニックを運ぶアシスタンストラックは選手たちのビバークに向かうことが許されず、翌日のステージのビバーク地に先まわりして選手たちを迎えることになる。ホアン・ナニ・ロマのナビゲーターを務める大ベテランのアンリ・マーニュは「サービスを行えるのは競技に出場している選手たちのみ。我々が頼りにできるのはラリーに出場している自分たちのチームのトラックだけということになります。何か大きなトラブルが発生した場合でも、アシスタンス部隊に助けてもらうことは不可能なのです」と、言う。「それゆえ、選手にはメカニズムに対する基礎知識と技術力が求められるのです。もちろんタイヤ交換や燃料の補給などは朝飯前ですが、深刻なトラブルが起こった時にどう対処すべきかは知っておく必要があります」と、マーニュは説明する。

「ステージでのスピードも普段のステージとは変わってきます」と、マーニュはさらに続ける。「もしもマラソンステージで激しく攻めるとなると、大きなリスクを負うことになります。なにしろ、その後できちんとしたサービスを受けられないわけですから。我々ができることといえば、マシンに積んであるパーツと工具で行える簡単な作業のみ。もし、もっと大きな問題が出た場合は、ラリーに参加しているトラックが到着するまでマシンの問題箇所周囲のパーツを外してすぐに作業が始められるように準備をしておきます」

 1日ごとにダカールのフィニッシュは近づいてきているが、マラソンステージをクリアできなければすべては水泡と化す。後半戦最大の山場であるマラソンステージでは、何人もの選手たちが涙を流すことになるだろう。
■1月10日(火)
ジル・ピカール(リュック・アルファンのコ・ドライバー)
『目立たぬヒーロー』



J-P・コトレ / G・ピカール
 ダカールラリーにおいてドライバーのテクニックが重要なのは言うまでもない。そして、SSトップタイムや総合1位となった時にもっとも注目を集めるのはドライバーたちだ。しかし、その華やかな活躍もナビゲーターの支えなしには実現されない。ナビゲーターはダカールラリーの陰の主役であり、チームのもっとも重要なメンバーでもある。彼らはロードブックに記載されているコースの指示を的確なタイミングで読み上げ、そしてデータと経験からもっとも最適と思われるルートを割り出す。時にはドライバーの精神状態をコントロールし、マシンにトラブルが発生した時にはメカニックとしての活躍も求められる。優れたナビゲーターなしにダカールラリーで勝利することは不可能といえる。

 リュック・アルファンのナビゲーター、ジル・ピカールは間違いなく世界のトップナビゲーターに挙げられるひとりだ。背が低く、非常に穏やかな性格の紳士であるピカールは一見したところ苛酷なダカールラリーを戦うファイターには見えない。しかし、彼のルーツをたどればかつてはライダーとして2輪でダカールラリーに参戦していた事実を知ることになる。過去8回出場して7回完走。1992年のパリ?ケープタウンではヤマハのワークスライダーとして5位に入る活躍を見せた。

 しかし、ピカールはステファン・ペテランセルやホアン・ナニ・ロマ、ティエリー・マニャルディらのようにライダーからドライバーに転向する道を選ばなかった。「バイク時代はとても刺激的な時間を過ごしたよ。楽しかったね。でも、人生とは常に移り変わるもの。私の体や気持ちは変化を求めていたんだ」と、ピカールはその理由を説明する。ピカールは1998年にジャン-ピエール・フォントネのナビゲーターとして初勝利を経験。その後2004年に増岡浩と、2005年にアルファンと組んで2位に入っている。ライダー時代の経験や、勝負に対する優れた勘がドライバーにとって心強い味方であることは言うまでもない。

 ピカールは今、アルファンのサイドシートで毎日を戦っている。そして、彼が追っているのはバイク時代の仲間でありライバルでもあったペテランセルの後ろ姿なのかもしれない。
■1月8日(日)
ペテランセルとアルファン
『ダカールへの道 ─後半戦の展望─ “カギを握るのはスタート順”』


ステファン・ペテランセル -- 総合1位
「大会スタート前、『ギニアに着くまでに20分ほどのアドバンテージを稼ぎ出せれば、優勝が現実のものになるだろう』とコメントしました。現状では、それはかなり困難なので、これからもアタックを続けて、状況を見ながら戦略を練ることになるでしょう」

「昨年のギニア・ステージはそれほど高速ではありませんでした。木々の間を縫うように走るテクニカルなセクションで、ナビゲーションもそれほど難しくはなかったと思います。そうなると、カギを握るはスタート順です。ドゥビリエ(VW)が1番スタートで、その後、クラインシュミット(VW)とサインツ(VW)が続き、次にアルファンがスタートして、それから私だとすると、ドゥビリエが逃げを決め込み、彼のチームメイトがわざとスロー走行して我々の行く手を阻むパターンも十分に考えられます。そうなった場合、20分程度のアドバンテージは簡単に帳消しにされてしまうでしょう」

「なぜ『三菱パジェロエボリューション』がモーリタニアのステージでこれほど強いのか・・・この2日間はショックアブソーバーの動きもいいうえ、私を含めた3名のチームメイトはミスらしいミスを犯していない、というのがポイントかもしれません。一方、ライバルは揃って大きなミスを犯し、1時間以上ロスしています。もちろんマシンも素晴らしいですが、それ以上にチームが完璧に機能しています」

リュック・アルファン -- 総合2位
「おそらくライバルはこの後、我々をスローダウンさせる戦術に出てくるでしょう。ここからのステージは非常に狭く、ホコリが多いことが特徴です。ラリーを観る側の立場からすれば、この段階で上位陣に大きな差がないのはエキサイティングでしょうね」

「とにかく、先はまだ長いですから、あまり考えすぎないようにしたいですね。『目の前のステージに全力でトライする』ことを心がけます。チームが必要だと思ったら、チームオーダーが出るのも当然です。今年のダカールはブラックアフリカで雌雄を決することになります。ロマの役割も重要です。1/9のステージ彼がクリーンなステージを走行し、上位にプレッシャーをかけることが戦略的にも大切です」
■1月4日(水)
ジャン-マルク・ボネー(「チーム・レプソル三菱ラリーアート」 スポーティングディレクター)
『チームを支える男』


「チーム・レプソル三菱ラリーアート」の隠れた英雄を紹介したい。それは副スポーティング・ディレクターのジャン-マルク・ボネーだ。チーム内では"スヌーピー"という愛称で呼ばれており、実質的にチームのナンバー2としてドミニク・セリエス監督を支えている。ボネーの仕事は競技規則の解釈、主催者側との折衝、さらにはFIA(世界自動車連盟)との交渉など多岐にわたる。

今回のダカールラリーでボネーは2人の技術者、そしてロジスティクス・マネージャーのデイビッド・セリエスらと同じ車で全行程をフォローしている。「ダカールラリーでは、夜のほうが昼間よりもずっと長いんだ。それは働く時間っていう意味だけどね」と、ボネーはおどけながら語る。「僕たちはすごく朝はやくビバークを出発して次のビバークへと向かう。そして、選手たちの状況を把握するためにイリ・トラッキング(Iri-tracking)システム=GPSと衛星携帯電話を組み合わせた、選手の位置情報確認システム)を常にチェックしている。もし、普通にビバークへと到着したら真っ先に大会本部へと向かう。そして、我々のトラッキングの時間が正確かどうかチェックする。その後選手たちの情報を得て、どのような状況にあるかを理解する。その後は、次の日にナビゲーターが使うロードブックの記載事項を確認し、修正を加えていく。翌日のスタート時間を確認することも大切だね。なんたってダカールラリーは予定がころころ変わるから。そして、選手たちのビバーク到着を迎えるわけだけど、競技に参加しているレース・トラックはかなり夜遅く着くことが多いから」

「そして仕事が終わって夜遅く、ようやくテントの中で短い眠りにつくわけだけど快眠ってわけにはいかない。例えば、モロッコのエルラシディアでは夜中摂氏0度以下にまで気温が下がったし。砂漠の夜はすごく寒いんだよ」
■1月3日(火)
パトリス・モレル (「チーム・レプソル三菱ラリーアート」 チームドクター/フィジカルセラピスト)
『ダカールラリーにおけるフィットネスと健康管理』




クルーのケガや体調不良でリタイアを強いられる──ダカールラリーをはじめとするモータースポーツにおいて、もっとも悔いの残るイベントの終え方である。たとえば、2005年11月のUAEデザート・チャレンジでは、「三菱パジェロエボリューション」を駆るホアン・ナニ・ロマが食中毒にかかって欠場に追い込まれ、優勝を逃がしている。

「チーム・レプソル三菱ラリーアート」は開業医、パトリス・モレルをチームドクター/フィジカルセラピスト(理学療法士)として、欧州やアフリカのラリーイベントに同行させ、クルーやスタッフの健康管理に余念がない。三菱自動車モータースポーツグループの中山修、エンジニアのベルナール・リンダウアー、法律顧問のマティアス・フェルツらとともにサポート車両に乗り込むモレルは、過酷なステージで痛めつけられたドライバーやコ・ドライバーの身体を癒す、という重要な役割を負っている。

「毎晩、時間の許すかぎり、ドライバーやコ・ドライバーが私の元を訪れます。そこで私は、頸部や背部に集中的なマッサージを行い、できるかぎり100パーセントの状態で翌日アタックできるように施術をします。砂丘や岩盤など激しいステージを走りきったクルーの身体は、それこそ岩のように硬くなっています。しっかりとマッサージして、翌日フルアタックできるよう、身体からストレスや痛みを取り除くことが私の仕事です」

モレルはさらに、クルーに起こりうる掌のマメから胃痛、頭痛、偏頭痛、ストレスなど、ありとあらゆる医学的問題に対処しなければならない。「今年はスタッフ全員に、疲労を回復し、体調を整えるスペシャル・サプリメントを渡しています。サボテンを主原料とする天然素材ですから安心です。アフリカでは、マラリアの危険もあるので、マラリア予防薬も提供しています。ヌアクショットの休息が終わってから、10日間はマラリア予防プログラムを受けてもらうことになっています」
■1月2日(月)
ドミニク・セリエス(レプソル・三菱ラリーアート チームディレクター)
『チームスピリット』


チームスピリットとモチベーション──ジャンルを問わず、スポーツで成功を収めるには、このふたつの要素は絶対に欠くことができない。総勢59名のスタッフを率いるチームディレクター、ドミニク・セリエスは、ダカールラリー6連覇という共通の目標を掲げ、1月15日のフィニッシュに向け心をひとつにしており、チームスピリットとモチベーションの重要性を語る。

「ダカールラリーで好成績をマークした場合、真っ先に注目されるのはドライバーであり、次にコ・ドライバーでしょう。しかし、チーム全員が、ラリーとはチームスポーツであり、各人がそれぞれ成功に貢献していることをしっかりと認識しています」

「我々は、それぞれ自らの役割を全うしようと決意を固めてラリーに臨んでいます。スタッフを信じ、全員に重要な役割を与えるのがチームの方針であり、おかげでチームスピリットが養われています。その結果はすでに証明されています」

「ドライバーとコ・ドライバーは、ダカールに備えて十分な準備期間を取っています。その間に友情を育み、必要な時は全員が協力して仕事に当たります。準備期間中は揃って、フランスのチーム社屋でフィットネス・プログラムに励んでいます。さらにモロッコでも何週間にも及ぶ実戦テストを繰り返し、チームとしてひとつになっています」

「特にドライバーとスタッフの関係は特別です。ドライバーとコ・ドライバーは、メカニックやエンジニアの仕事を尊重しています。チーム内に順列はありません。私自身、チームスピリットとチームワークを大切にしています。この考えはすでにチームにも浸透しており、ダカールのゴールでその効果が現れると期待しています」
■1月1日(日)
増岡 浩『カギを握るアフリカン・ステージ』

「アフリカの砂漠やキャメルグラスは僕の庭のようなものです。過去の経験が活かせますから、アドバンテージになるでしょう。今年のルートは砂漠のステージが少なくなっていますが、勝負所のモーリタニアをうまく走りきれば結果が見えてくるでしょう」

「1月6日のズエラット〜アタールのSS(499km)と翌日のアタール-ヌアクショット(508km)、この2つのモーリタニアのステージが今大会のヤマ場となるでしょうが、逆に我々にとってアドバンテージになるかもしれません。8日休息日明けのヌアクショットーキファ(599km=今大会最長ステージ)は、僕の得意な砂丘群が続くステージですので、かなりアタックできるのではないかと思ってます」

「GPSポイントが大幅に制限された結果、以前よりもミスをしないことが重要で、キャメルグラスの間をどれだけリズムを崩さずにスピードに乗れるかがポイントになっています。このセクションが好きだというドライバーはおそらくいないでしょうが、だからこそ、ここでアドバンテージを取ることが重要です。今年のパリダカは近年稀に見る激戦になるかもしれません」

※キャメルグラス=直径30cm〜1mくらいの株になって生えている草。水が少ないので根が発達し、根は捕まえた砂を離さず成長する。草の茎や葉は小さなコブに生えているのと同じように堅い。砂のコブとなった根の高さは、点々と砂漠の中に生えている。



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