三菱自動車
FIA世界ラリー選手権(WRC)における栄光の軌跡



三菱500
マカオグランプリ(1963年)
三菱自動車は1962年の「マカオグランプリ」に『三菱500』で初参戦し、国際的なモータースポーツ活動への取り組みを開始した。それ以降、世界ラリー選手権(WRC)やクロスカントリーラリーになどのラリー活動に精力的に取り組み、その分野のモータースポーツで圧倒的な力を発揮し、自動車業界はもとより、多くの一般ユーザーに対して大きな影響を与え続けてきた。

三菱自動車の世界ラリー選手権活動では、トミー・マキネンが1996年から1999年まで前人未踏の4年連続ドライバーズタイトル獲得をしている。また1998年には併せてマニュファクチャラーズタイトルを勝ち取り、世界ラリー選手権での完全勝利を達成した。三菱自動車は1974年の「サファリラリー」における初優勝から2002年までに世界ラリー選手権で合計34のラリーで勝利をおさめ、同選手権が創設された1973年以降、参戦マニュファクチャラー20社の中でも6番目に多い優勝回数を誇る。

また世界ラリー選手権のトップカテゴリーであるワールドラリーカーと比べ、改造範囲が限られ、より市販車に近い状態で競技されるグループNのカテゴリーでも三菱自動車は卓越した記録を残している。世界ラリー選手権のグループN(現在のプロダクションカー世界ラリー選手権=PWRC)では1995年から2001年まで7年連続で「ランサーエボリュ-ション」が同クラスを制した。また過去5度に渡りタイトルを獲得した、アジアパシフィック選手権も三菱自動車のモータースポーツ史に大きな功績を残している。2004年FIAプロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)でも、ランサーは全7戦中6勝を記録した。

1962年の「マカオグランプリ」参戦後、1967年に三菱自動車は『コルト1000F』でオーストラリアの「サザンクロスラリー」に参戦し、インターナショナルラリーへのデビューを果たした。そして1972年の「サザンクロスラリー」で『ギャラン』を駆るアンドリュー・コーワン(後のラリーアートヨーロッパ創設者で現MMSP LTD相談役)が三菱自動車初となるインターショナルナルラリーでの優勝を飾った。


三菱ランサー(1600 GSR)
サザンクロスラリー(1973年)
翌1973年の「サザンクロスラリー」で初代『ランサー(1600 GSR)』をデビューさせ、1976年まで、三菱車5連覇、ランサーで4連覇という大きな成功をおさめた。また1973年の「サファリラリー」に『ギャラン』で参戦し、三菱自動車の世界ラリー選手権への挑戦が始まった。そして1974年の「サファリラリー」で、ケニア人ドライバー、ジョギンダ・シンの駆る『ランサー』が優勝し、同社の世界ラリー選手権初の勝利を得たのである。また、1976年の「サファリラリー」では、シンとロビン・ウリヤテとアンドリュー・コーワンの駆る3台の『ランサー』が1位〜3位まで表彰台を独占した。

三菱自動車のモータースポーツ活動は、他の多くの自動車メーカー同様、世界レベルで発生した石油ショックにより、一時中断を余儀なくされたが、1981年の世界ラリー選手権に2.0Lターボエンジンを搭載した『ランサーEX』でカムバックを果たした。『ランサーEX』は3年間参戦し、その後、三菱自動車のラリー活動は1983年の『スタリオン』に、そして『ギャランVR4』へと引き継がれた。『ギャランVR4』は、アジア・パシフィックラリー選手権でも活躍し、1988年に篠塚建次郎が、1991年と92年にロス・ダンカートンが同選手権のタイトルを獲得している。

1993年は『ランサー』復活の年であった。『ランサーエボリューション』のWRCにおける輝かしい歴史の始まりである。『ランサーエボリュ-ション。』は1995年のアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)でドライバーとマニュファクチャラー部門のタイトルを獲得し、世界ラリー選手権においては1996年には「スウェディッシュラリー」で2年連続優勝を達成した。フィンランド人ドライバーのトミー・マキネンとイギリス人ドライバーのリチャード・バーンズはその後ケニアのサファリラリーとアルゼンチンラリ−、ニュージーランドラリー、フィンランドラリー、そしてオーストラリアラリーで優勝を飾った。またトミー・マキネンは、この年から1999年まで4年連続で世界ラリー選手権のドライバーズタイトルを獲得しており、まさに1996年は『ランサーエボリューション』の飛躍の年であった。

1997年のFIAの規定改定により、ワールドラリーカーが誕生した。しかし三菱自動車は、改造範囲の限られるグループAカテゴリーの『ランサーエボリューション』で参戦を続けることを決めた。この年トミー・マキネンはポルトガル、スペイン、アルゼンチン、そしてフィンランドと計4つのラリーで勝利をし、2年連続のドライバーズタイトルを獲得している。


三菱ランサーエボリューションV
フィンランドラリー(1998年)
1998年は更に大きな規定改定が実施された。1/10秒刻みの計測の導入である。新型となる『ランサーエボリューションV』は4月のカタルニヤラリーでデビューし、すぐに表彰台の一角を占めた。マキネンが3位にそしてバーンズが4位に入賞したのである。『ランサーエボリューションV』最大の特長は拡幅された外観だが、これは新たにワールドラリーカーの規定で認められた最大幅の利点を最大限に活用したものである。また優れた電子制御技術ときめ細かく調整したサスペンションにより、舗装路での性能を向上するとともに、あらゆるラウンドでのメンテナンス性の向上を実現した。この年、トミー・マキネンはWRCで5勝し、3年連続となるドライバーズタイトルを得て、リチャード・バーンズの2勝と合わせ、三菱自動車初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。

1999年は1月の「モンテカルロラリー」に『ランサーエボリューションV』で参戦、同ラリー5年連続優勝の偉業を達成した。そして次の「スウェディッシュラリー」で新型の『ランサーエボリューションVI』がデビューしたが、『ランサーエボリューションVI』は初戦から優勝を決めている。なお『ランサーエボリュ-ションVI』は、先代の『エボリューションV』を改良した派生車だったが、FIAのレギュレーション上では、三菱自動車初のワールドラリーカーとして承認されている。この年マキネンとバーンズはWRC全14戦中7戦で優勝し、マキネンが4年連続ドライバーズタイトルを獲得し、バーンズはわずか7ポイント差でドライバーズポイント2位となった。
このFIAの承認上ではワールドラリーカーとされた車両の開発は、2000年の「ランサーエボリューション6.5」として知られる車両まで続けられた。しかし2000年はモンテカルロラリーでの優勝以後、三菱自動車にとって厳しいシーズンとなった。

『ランサーエボリューションVI』のリヤ車体構造とフライホイールの改良をFIAから許可された2001年は良いスタートが切れた。この『ランサーエボリューションVI』はモンテカルロラリーで優勝し、三菱自動車にとって名実ともに初となるワールドラリーカー『ランサーエボリューションWRC』がサンレモラリーでデビューするまで参戦した。この年、マキネンは4つのラリーで優勝したが、WRCの競争は厳しく、スバルに移籍したかつてのチームメイト、リチャード・バーンズが新型インプレッサで2001年のドライバーズタイトルを獲得。マキネンと三菱自動車はそれぞれ、ドライバーズポイント、マニュファクチャラーズポイントで3位に留まった。

2002年は三菱自動車にとってさらに厳しい年となり、最終的には翌2003年の世界ラリー選手権活動の休止を決定するに至った。三菱自動車は2002年11月に、新しいモータースポーツ統括会社MMSP GmbHの設立。このMMSP GmbHは三菱自動車のグローバルなモータースポーツ活動の推進を担っている。

2004年のWRCシーズンは、またしてもチャレンジングな年となり、8月のラリー・ドイツ終了後、三菱自動車は、9月に母国、日本で初めて開催された「ラリー・ジャパン」から再び一時参戦活動を休止し、ランサーWRC04の更なる開発と熟成に特化した。そして、シーズン終盤に開催された「ラリー・スペイン(カタルニア)」には、ジル・パニッツィ、ダニエル・ソラ、ジャン‐ルイジ・ガリの3台体制で臨み、ソラとガリが6、7位とポイント圏内でフィニッシュし、一時休止による開発への特化が身を結びつつあることを鮮明に印象づけた。

2005年は、1月下旬の第1戦モンテカルロラリーから世界ラリー選手権が開幕する。三菱自動車はランサーWRC05で、優勝を狙えるポジションを目指していく。