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プロトタイプ・パジェロは大幅に強化 1980年代最後のパリダカは、アフリカの玄関が前年のチュニス(チュニジア)からさらに東へと移動し、トリポリ(リビア)となった。三菱はこれまでの体制を一層強化し、プロトタイプ・クラスだけでなく、市販車改造クラスにもメーカーとして力を注いだ。プロトタイプ・パジェロにはこれまで通りアンドリュー・コーワン、ピエール・ラルティーグ、篠塚建次郎、ジャン・ピエール・フォントネが乗り込み、市販車改造パジェロには増岡浩、ドイツ人ドライバーのアーウィン・ウェーバーらが搭乗した。プロトタイプ・パジェロはこれまでと同型エンジンながら、最高出力が280馬力にまで達し、サスペンションを前後ダブルウィッシュボーンに変更、ボディ・カウルは空力を意識した形状のもので武装された。この年、三菱とプジョーの戦いは4年目に突入、そしてこの年を最後にスポーツ・プロトタイプカー耐久選手権にレース活動を転向するプジョーが、パリダカから撤退するため、これが両者の最後の戦いとなった。死の砂漠と謳われるリビア砂漠、そしてサービス禁止のマラソン・ステージの設置により、この年のパリダカは参加者を大いに苦しめた。329台の4輪参加マシンのうち、完走が87台だったことがこの年の過酷さを物語っている。この完走すら危うい過酷さのなかで繰り広げられる優勝争いは、常人の想像を絶する世界であることは確かだ。マシンのスピード、信頼性、ドライバーの能力、チームの総合力、すべてにおいて高次元のものが要求されるトップグループの戦いは、プジョーに軍配が上がった。三菱パジェロはコーワンの総合4位が最高位、篠塚が総合5位で続いた。市販車改造クラスでは増岡が総合10位でクラス優勝を飾り、パジェロの基本性能の高さを実証した。 総合成績
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