1980年代前半にラリー界は、アウディの持ち込んだターボエンジンと4WDによりそれまでの様相を一変させた。すでにランサーEX2000ターボでターボエンジンを導入していた三菱は、4WDの必要性を認識し、次期マシンとして年間200台以上生産される市販車をベースとするグループBの「スタリオン4WDラリー」開発に着手した。スタリオンのボディを若干改造し、フルタイム4WD機構を備えていた同モデルのWRC投入を三菱は当初、1984年秋に予定していたが、開発スケジュールの遅延によりホモロゲーション(FIAの車両公認)を取得できず、1984年に出場できたのは、テストをかねて参戦したフランス選手権のミル・ピストラリーとRACラリーの第3レグのみを走行する特設クラスの2戦に限られた。しかし、デビュー・イベントのミル・ピストでクラス優勝を果たしたそのポテンシャルには、多くの期待が集まり、将来が嘱望された。しかし、その期待も束の間、スタリオン4WDは販路の問題やWRCレギュレーションの度重なる変更によりWRC出場計画を断念。活動の場をアジア地域へと移した後「スタリオンターボ」にその地位を譲ることになった。
1987年、WRCの車両レギュレーションがグループBから年間2500台以上生産される市販車をべースとするグループAへと移行。それに伴い三菱はグループAのスタリオンターボを開発したが、WRCではなく中近東選手権に挑戦。2WDのスタリオンターボは、グループAクラス3連勝を記録するなどの活躍で、その年のグループAチャンピオンに輝いた。また、同モデルは中近東以外にもアジア・パシフィックラリー選手権や英国選手権など各地で活躍した。